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家族から、戦争体験談など聞いたことがありますか?

2010.8.5 23:56    1 15

質問者: たんたさん(33歳)

特に主義主張があるわけでもないので御承知おき下さい。

私の祖母は十年少し前に他界してしまいましたが、自分が子を育てるようになり、祖母やその時代の母親たちの強さや凄さを感じ、もっと話しを聞いておけば良かったと後悔しています。

祖母は戦争の始まる前に結婚し、祖父の仕事の関係で中国東北部へ移り住んだそうです。昭和20年2月に男児(私の父)を出産し、戦火の激しくなる6月に3歳になる娘を適切な医療が受けられず、虫垂炎で亡くしたそうです。(その娘さんの前にも男児を亡くしたようです)
この間、祖父は不在で近所の人たちと助け合ってきたそうです。
そして8月、戦争が終わったはずなのに、街にソ連軍が攻めてきて近所の人たちと一軒の家に身を寄せ合い、薬(○○カリ)を握りしめて覚悟を決めたそうです。家の外を囲むソ連軍が日本語で『民間人には危害を加えない。自殺なんかしないで出てきなさい』と言われたそうです。

…この話しを聞いたのは私が12歳頃で、布団の中で祖母がたった一度だけ話してくれたものでした。当時の私は質問を返すこともなく、眠ってしまったのか?それから先は残念ながら覚えていません。
ただ、国家試験などで戸籍を調べたりする度に、戦後1~2年経ってから引き揚げたことなどを知り、また父からも『おんぶして街へ出かけて帰ると、赤ちゃんを巻く布(赤ちゃんの背中部分)が刃物で切り裂かれていたらしい』などと聞いたり、断片的な記憶と色々な点を繋いでいくうちに、私が今この世に産まれて生きていることも、すごい偶然の重なりの結果なんだと感じ、有り難く感じました。
育児をしてからは尚更で、レトルトも車もない衣食住はもちろん、戦渦を幼子を2人も抱えて逃げた祖母に尊敬の念を抱かずにはおれず同時に、先進国と言われる恵まれた国で暑いとはいえ、夏休みで三人の子どもに囲まれすぐイライラ怒ってしまう自分に反省するこの頃です。

話しはス゛レてしまいましたが、当時の生活とか、もっと聞いておけば良かったなぁ…と今後悔しています。私は子どもがもう少し大きくなったら、話そうと思っています。皆さんはご家族から戦争の話しを聞いたことがありますか?

ちなみに友人の祖母は空襲にもあったことがなく近くの空襲を見て『花火みたいだった』と言ってました。…色々ですね。
長文お付き合いありがとうございました。

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回答一覧

私は毎年、お盆に母方の祖父の家に行き、酔った祖父から戦争の話を聞かされます。
シヘ゛リア抑留された話です。

父方の祖父母は数年前に亡くなりましたが、一緒に暮らしていたため、良く聞きました。
東京大空襲で被害を受けた場所が実家です。
関東大震災の話も聞きました。

身内からの体験話を聞くと、そんな昔ではないんだな、と思いました。

2010.8.6 06:40 23

碧(35歳)

私はよく祖父母と会いますので、当時の話も毎回のように聞いています。

こちらは北関東山沿いですので、B29が余った爆弾を落としていく程度だったそうです。主人の祖母は疎開組で大変肩身の狭い生活をしていました。
何度も話てくれるのは、やはり食べ物・着る物がないという事です。

沖縄に行った時、ひめゆり隊?の方に話を聞きました。望んで聞いた訳ではなかったのですが、涙しましたし聞いて良かったと思いました。

目を背けがちですが、戦争の酷さなど私達が子供達に伝えていくべきと思います。二度とこのような間違いを起こさない為にも…

2010.8.6 09:22 21

とくめい(秘密)

家の父方の祖母はまだ健在ですが、一度だけ戦争の話をしてくれました。戦争で弟が兵隊で行き船の上で爆弾を落とされて死んでしまった。あの頃は大変だった。とつぶやいていたことがあります。(今は靖国神社に奉納されています。)
でも、その先は話したくないようで一切口を開きません。
祖母にすれば言いたくない事なんだろうと思います。
母方の祖父は戦争に行き帰ってきたそうです。
でも、戦争の話は一切口にせずに他界をしました。
今の時代は本当に環境に恵まれ食に恵まれ幸せなんですよね。
昔の方の苦労を考えれば今の私達はわがままなのかもしれませんね・・・。
でも、昔に戦争があり何万人と言う方の命が消えた事は忘れちゃいけないですよね。

2010.8.6 09:29 19

もも(秘密)

良いスレですね。

広島に生まれた私は、幼い頃から「平和教育」を受けて育ちました。
平和を考えることは、過去の戦争を知ることから始まります。
被爆体験は勿論、戦争体験に接する機会が多かったので、身内の体験談にも自然と興味を持ちました。

母方の祖父は職業軍人で陸軍将校として終戦の直前まで中国におり、祖母は満州からの引揚者です。
向こうで良い暮らしをしていたぶん、帰国後は悲惨だったそうです。
父方の曾祖母と祖母は、大阪で空襲に遭いました。
曾祖母はまだ幼かった祖母の妹たち2人をおぶって、火の海の中を逃げたそうです。
爆撃機が間近に迫った時、曾祖母は布団を被って地面に伏せました。
布団を這い出してみると、周りにいた人たちは皆亡くなっていたそうです。
祖母は学生で、工場で働かされていて難を逃れました。
空襲の報せを聞き慌てて戻ってみると、家は焼け落ちて跡形もなく、負傷者や亡骸の中に家族の姿を探し回り、数日後ようやく再会できたそうです。
「何もかも失ったけど、家族全員が助かったのは奇跡だった」と言います。
陸軍に徴兵された主人の祖父は、ヒ゛ルマ(現ミャンマー)などの激戦地を転々とし、シヘ゛リア抑留を経てようやく帰国することができました。
故郷を離れて10年でした。
祖父の身体には銃撃を受けた傷痕と、体内に銃弾や爆弾の破片が残っています。
同じ部隊にいた実兄や戦友たちを亡くし、自らもまた、沢山の人の命を奪ったそうです。
敵国の兵士が民間人に化けていることもある為、僧侶の姿をした人も撃ったと言い「そういう時代だった、馬鹿げたことをした」と涙を流していました。
戦争のために、多くの「普通の日本人」が被害者、そして加害者となったことが分かります。

現在80歳以上のお年寄りは、青春時代に戦争を体験された方たちが殆どです。
戦争体験を話したくないという方もおられるようですが、できることなら、お元気なうちに聞いておくべきです。
「戦争と平和」なんて難しく捉えずに、自分の身内が戦時中どのようなことを体験し何を感じたのか、そのことが今の自分や子供たちにどう繋がっているのか、関心を持って欲しいと思います。

2010.8.6 09:42 18

まりも(27歳)

こんにちは。
毎年この時期には、戦争テーマのト゛キュメンタリーやト゛ラマが放送されますね。
私は当時を勿論知らないし、想像の域を越えることはないですが、戦争については辛い気持ちを抑えることができず、「火垂るの墓」も最後まで見ることができません。

私の実家の街は、広島原爆投下の前日に空襲を受け、県下最大の被害者を出したそうです。
当時20歳そこそこだった祖母は、女学校の同級生が爆撃で吹き飛ばされたり、顔見知りの人の死体を飛び越えたりして、命からがら防空豪に避難したそうです。

そして次の日の朝、焼け野が原になった街のはるか遠くに、原爆雲が見えた…と。
訳もわからなかったけれど、何か大変なことが起こった…と思ったそうです。

祖母も、それ以上は口を開こうとしません。


私は今、妊娠9ヶ月なんですが、もし当時その場にいて、通常の精神状態でいられたか、お腹の子や家族を守れたか…自信がありません。

戦争体験を語れる方が少なくなった今、私たちも風化させないように、きちんと知らないといけないなと思います。

何度も勇気が無くて入れなかった原爆記念館…いつかきちんと目を開いて見つめたいと思います。

長文失礼しました。

2010.8.6 10:05 21

あるる(28歳)

私の両親が、戦争体験者です。
私が子供の時よく、母に戦争中の話を聞かせてほしいとせがんだものでした。
両親は当時小学生くらいだったようです。
東京に住んでいた母は、茨城県に疎開してそこであった話、食べ物がなくて農家の人と着物と食料を交換した話、空襲警報がなって逃げる途中で友達が死んでしまった話等いろいろありました。
私がせかせむので仕方なく話していたようですが、思い出したくない話だったようです。

2010.8.6 10:07 12

めがね(41歳)

広島在住者です。家族から戦争体験を聞いたことはありませんが現在ボランティアで広島をガイドしており、被爆者や戦争体験者の方からいろんな話を聞く機会がよくあります。

また自分がガイドしたお客さんから逆に当時の話を聞くことも多く、今の日本では考えられないような時代がすぐ前にあったことを痛感することも多いです。

これからの世代の人たちが二度とあんな経験をしないためにも、語り継いでいかないといけないですよね。

2010.8.6 10:10 9

るる(28歳)

たんたさん、こんにちは。

私が小学生位の時に戦争について勉強をしていたので、戦争経験談を聞いた事があります。
母方の祖母は最初は「思い出したくない」と口を閉ざしていましたが、それでも話をしてくれました。
祖母は東京に住み、空襲で目の前で姉が亡くなったそうです。そして、兄弟も次々になくなり、食べる物もなく、雑草の根を食べていたそうです。

父方の祖父は中国に出兵したそうです。鉄道の横に小屋があり、そこで寝泊りをしていたようですが、まだまだ下っ端だったので押入れで寝ていたそうです。そこへ、現地の女性が花をかごに入れ「差し入れ」と渡された中には銃が隠されており、祖父以外の人たちは全て撃ち殺されたそうです。
祖父は右手の指と、左足に銃弾が貫通した痕がありました。負傷し日本に戻ってきましたが、もし、負傷しなければ、沖縄前線へ出兵が決まっていたようです。沖縄前線へ出兵していたら、今頃、父も私も存在していないんです。

私もこの様な世の中に生まれてきた事に感謝しています。
また、今の若い人達は平和ボケ(?)なのかしれませんが、もっと戦争について知るべきだと思いますけどね。

2010.8.6 10:42 12

とうもろこし(32歳)

こんにちは。広島出身のものです

私が祖父から聞いたのは頭の上を銃弾が飛んでいた。
祖母からは空襲警報が鳴ったら防空壕で震えていた。
など断片的なものです。今になってもっと聞いておけばよかったと思っています。
「戦争はいけん。絶対にしたらいけん」が祖母の口ぐせでした
今も実家には防空壕が残っています。この狭い穴の中で震えていたんだと思うと、平和な時代に生まれてありがたいと思います。

私も65年前の昔のことと捉えずに子供達に伝えていける人間でありたいと思います

2010.8.6 12:11 13

ぽー(35歳)

主のたんたです。

皆さんのお返事を読んで、目頭が熱くなってきてしまいました。ありがとうございます。

戦争の話を祖母から聞いたのはたった一度、あの時だけです。体験者からすると話したくない、辛い話しだと思います。でも皆さん平和への思いも込めて、重い口を開いて語ってくれるんだと思うと、感謝だけでは済まされない思いでいっぱいになりますね。

話しは現代に戻りますが、私の親戚は外国(中東地域)の方と結婚しました。彼女も徴兵経験者だし、弟さんも私たちがテレヒ゛で見る『紛争』で戦っていました。今は除隊してアメリカにいますが、戻ればまた…と帰国をためらっています。彼女も安全を優先して日本で子育てしています。ちなみに私の夫のいとこも、(彼女と敵対する)中東地域の国の方と結婚しました。
直接ではないけど、どこかでは繋がっていて、平和でいられるのにな、と残念に思います。
それから、今でも命を危険にさらしている人が身近にいると思うと切なくなりますね。

平和ホ゛ケしないように、有り難みを感じながら、日々暮らして行きたいと思います。
ありがとうございました!
皆さんご意見がありましたら、まだまだお願いします!

2010.8.6 13:55 9

たんた(33歳)

私も今年88歳になる祖母からよく話を聞きました。
祖母は長崎出身ですが、戦争末期は中国の天津にいて、昭和20年10月に父を出産しました。
祖母の母が原爆の光を見たそうですが、幸い爆心地から離れていたようなので被爆からは免れたそうです。
中国にいた時も電車には天井もなく、常に流れ弾が当たるかもしれない恐怖に晒されながら大きかったお腹を必死で守ったそうです。
周りの人にも助けられながら何とか無事出産し、日本に戻ってきたそうです。

母方の祖母からは、ロシアの捕虜になり、妊娠中でお腹が大きかったから何か隠してるんじゃないかと素っ裸にされたそうです。その時お腹にいた男児は、生まれてすぐ祖母が栄養不足によって母乳が止まってしまったために栄養失調で亡くなってしまったそうです。

誰からどんな話を聞いても辛い話ばかりで胸が痛みます。

だんだん戦争経験者が少なくなる中で、私も子供に伝え、風化させないように語り継いで行くべきだと思いました。

2010.8.6 17:38 8

まち(30歳)

小学校の時に祖父母から戦争体験を聞いてくるっって授業があり聞きました。
祖父はビルマに行き、カエルやら虫まで食べたという話。
祖母は東京大空襲で真っ黒な死体の上を歩いた話をしてくれました。
他にも戦後はお父さんが死んでいっきに貧乏になったこと、食べ物がなくて困った話を聞きました。

母は終戦後に産まれてるのですが、戦争の話は祖母が話したがらず聞いたことがなかったそうです。孫の代になってようやく話せるようになったんだなと思いました。

子供の時に聞いたきりで詳しくは聞けてなかったのですが、私も祖父母が生きていたらもっといろいろ聞きたかったなと思います。
私が子供産む前に亡くなってしまったので、親になって初めて判ったこと、聞きたかったことも出てきたのです。

今は何でも使い捨てやすぐに買い換えるけど、工夫して物を大事にしてたこと、本当に頑張って生きてたんだなと頭が下がります。

戦争体験者もどんどん減ってますが、子供達の時代も平和であるように話せることは話してあげたいなと思います。

2010.8.6 21:05 9

ツイン(31歳)

こんにちは。
私は老人ホームで働いているので、色々なお話を伺います。
原爆を体験された方は、被爆はされなかったのですが、死体を山積みにして焼くのが耐えられなかったと…沢山焼くから、ちゃんと焼けないそうなんです、顔が半分残ってたり…そういう死体の山がそこらじゅうにあったそうです。
他に、右足の膝から下と、右手の指がないおじいちゃんがいらっしゃって、とても明るい方なので「足、怪我でもしたんですか〜?」って軽く聞いたら、「戦争の時、撃ち合いになって土嚢に隠れていた。体勢を変えようと身体を動かしたら、土嚢から出た右足と指を撃ち抜かれ、腐ったらあかんから切り落としたんや〜」と…絶句しました。
元々、戦争の話が怖くて仕方なくて、「はだしのケ゛ン」の映画を小学生で見た時は、飛行機の音がするだけで机の下に隠れてて、祖母に「あれは爆弾落とせへんよ〜」って笑われてた位だったので、どの方の話もすごくショックでした。
私が小学生の頃は、終戦記念日には学校に戦争の映画を見に行ったのですが、最近はないそうですね。現実を知らず、ケ゛ームなどで戦争をイメーシ゛してしまっては、また悲劇を起こしかねないです。
一人でも多くの方に私が伺ったお話を伝えたいと思っていたので、このスレを立ててくださった主さんに感謝します(__)
世界中に平和が訪れますように!!

2010.8.7 08:25 10

こいえ(34歳)

私は沖縄で祖父母は沖縄戦を経験しています。
終戦記念日に祖父母と平和記念館や平和の碇に行ったりしました。
戦争の話は祖母は良く話してくれましたが祖父はあまり話しません。
祖父母共に戦争で家族の半分が亡くなりました。

今当たり前のように恵まれた中で生活していますが、祖父母が戦争の中生き抜いて、その後何もない中を生き抜いて、今の私や今私のお腹の中にいるこれから生まれる子供がいる。
本当に凄い事だと思います。

両親も大切ですが、一番は祖父母あってこそ、更にその親ご先祖様…

自分の命は自分だけのもじゃないな~と改めて思います。

2010.8.7 10:49 10

里奈(27歳)

投稿するのが遅くなってしまいましたが…

私が印象に残っている祖母の言葉。
息子を出産し、実家で休ませてもらっている頃、
祖母がすやすや寝ている息子の顔を見ながら
「良かったね…この時代に産まれてきて良かったね…」
としみじみ言いました。

戦争中は防空壕に隠れた時や逃げているときに
赤ちゃんを泣かせまいと必死だったそうです。
確かにそうですよね、泣いたら隠れている場所が分かる。
そのことが理由で殺された赤ちゃんも中にはいたんだそうです。

本当に私たちは幸せです。
私たちが今幸せなのは
戦争を生きた人たちのお陰です。

2010.8.7 13:12 11

らな(29歳)

1917

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