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情熱のカルテ レディースクリニック北浜 奥 裕嗣 先生

 

 

 

 

治療の限界を感じ体外受精を学ぶため米国へ

――先生が産婦人科医になるまでのきっかけやこれまでの道のりを教えてください。

「和歌山県で安土桃山時代から代々医療にたずさわる家系の長男に生まれました。曽祖父の時代からは産婦人科を営み、父や母が医師として働く姿を身近に感じて育ちましたので、子どもながらに自分も医学部に入り、産婦人科医になるんだという想いは漠然とありましたね。成長過程では決められたレールを歩むことに抵抗した時期もありましたが、いま思えば医師をめざすのは自然のなりゆきでした。

産婦人科医になって1年後に大学院に入り、生殖医療とは直接関係のない生化学分野で、女性の更年期障害や加齢にかかわる過酸化脂質について研究。学位を取得後、総合大雄会病院、蒲郡市民病院の勤務医として、分娩や手術など一般産科の治療に携わるようになりました」

――その後、アメリカに留学されたのですね。

「勤務先の病院では人工授精までおこなっていたのですが、これだけでは治療に限界があると感じるようになりました。だからこそ、なんとか最先端である体外受精に直接かかわり、勉強をしたいという思いが強くなった。それがきっかけでしたね。

ちょうどその頃、大学院で同じ研究所だった浅田義正先生(浅田レディースクリニック理事長)や、向田哲規先生(広島HARTクリニック院長)がアメリカで先端の生殖医療を学んで続々と帰国されました。そこでお二人に相談したところ、それぞれの先生のご尽力により、1998年に向田先生の留学先であった米国・ニュージャージー州にある不妊専門クリニック「Diamond Institute for Infertility and Menopause」で体外受精を学ぶ機会を得ました。

アメリカでは、おもに体外受精には欠かせないエンブリオロジスト(胚培養士)の仕事を学びました。そこでお世話になったアメリカのボスはDr.エミーニとバーケンフェルド。日本人と勤勉な気質が似ているユダヤ系の彼らのもとでの研修はとても有意義でした。なかでも強く印象に残っているのが『ブラッドミーティング』。たとえば日本では、刺激周期中は患者様に通常3〜4回通院していただくのが一般的ですが、研修先では患者様に毎日通院してもらい採血します。そして毎日の採血データをみながら自己注射の量を微調整するなど、その臨床のあり方に驚きました。さらに私のような研修医や看護師が立場に関係なくミーティングに参加することができて、いいアイデアは積極的に採用してもらえるオープンな環境もモチベーションのアップにつながりました。そんな臨床のあり方や、体外受精の基礎を学んだこの3年間がなければ、いまの私はなかったと思います」

一人ひとりに一貫した治療を届けるため開業医の道に

――帰国後はIVF大阪・IVFなんばクリニックで副院長として勤務された後、現在のクリニックを開業されました。開業医の道を選んだ理由もお聞かせください。

「IVF大阪・IVFなんばクリニックに勤務していた時は、理事長の森本義晴先生には、日本の最先端の生殖医療の現場で、たくさんの症例を経験させていただいてとても感謝しています。振り返ってみると、不妊治療医としての人生はいい出会いに恵まれた結果だと思います。

また、この頃にはアメリカで体外受精を学ぶことを反対していた産婦人科医の父が、漢方薬や人工授精では手立てが難しい患者様を私に紹介してくれるようになりました。そういう意味では父も私を認めてくれていたのかなと思い、うれしかったですね。

最後まで勤務医か開業医かという選択で迷いましたが、2010年に実家のある和歌山ではなく、体外受精を必要とされる患者様が通院しやすい大阪に開院しました。大病院では排卵誘発、採卵、胚移植など治療内容によって、一人の患者様を担当する医師がそれぞれ異なります。私には一人ひとりの患者様を最後まで一貫して診たいという想いがありました。やはり開業医の家系で育ったことが大きかったのかもしれません」

 

 

結果が出ない患者様にも最後まで力を尽くしたい

――開院されて7年目を迎えますが、日々どんな想いで治療に臨まれていますか。また今後についてお聞かせください。

「当院では、少人数の医師が一般不妊治療から体外受精まで一貫して行うことで、クオリティの高い医療を提供したいと考えています。そのためには最新情報にアンテナを張り、自己研鑽していくこと。さらに、アメリカで学んだ経験や検証法をベースに、排卵誘発から培養液の選択、培養室の温度管理に至るまで、結果が出ない方の治療検証を繰り返し、一人でも多くの患者様が赤ちゃんを授かれるよう力を尽くしていきたいです。生殖医療の技術は進んでいますので、ある程度早い年齢でお越しいただいた方は、かなり高い確率でいい結果が出ています。しかし、現代の医療でも残念ながら結果が出ない方もいらっしゃいます。私の想いは、当院を選んで治療を受けていただいたけれども結果が出なかった、そのような患者様にも、『ここで治療を受けて良かった』と納得して卒業していただくことです。アメリカでの経験を活かしてオープンな環境とチームワークを大切にしながら、つねに最良の治療を届けていきたいと思っています」

 

(左)体外受精の説明会も定期的に開催しているサロンのような待合室。 (中央)臨床心理士によるカウンセリングでご夫婦の心身をサポート。 (右)採卵後の卵子をスピーディーに検卵できるよう集約した採卵室、培養室、リカバリールーム。

 

 

お話を伺った先生のご紹介

奥 裕嗣 先生(レディースクリニック北浜)

1992年愛知医科大学大学院修了。蒲郡市民病院勤務の後、アメリカに留学。Diamond Institute for Infertility and Menopauseにて体外受精、顕微授精等、最先端の生殖医療技術を学ぶ。帰国後、IVF大阪クリニック勤務、IVFなんばクリニック副院長を経て、2010年レディースクリニック北浜を開院。医学博士、日本産婦人科学会専門医、日本生殖医学会生殖医療専門医。採卵室と壁一枚で仕切られた培養室には、採卵後の卵子をスピーディーに検卵できる特注のパスボックスを設置。採卵後の卵子の温度変化にも配慮したアイデアは、胚培養士の資格を持つ先生ならではの発想です。

出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.34 2017 Summer
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