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28歳で早発閉経・・・どうして私が?不妊症なんて思いたくない!

コラム 不妊治療

28歳で早発閉経・・・どうして私が?不妊症なんて思いたくない!

2016夏 p6

2016.5.24

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どうして私が?不妊症なんて思いたくない!
28歳で早発閉経と診断。
AMHが0.01でもわずかな可能性を信じて治療を続けました。


子づくりを始めようと思った矢先、軽い気持ちで受けた検査で、早発閉経の疑いを指摘されたアヤコさん。
不妊という言葉さえ知らなかったところから、長い治療の旅が始まったのです。



何気なく受けた検査で大きな不安が生まれ…


大学の同級生だったアヤコさんとご主人は、卒業して別々の会社に就職し、2年たった頃、自然の流れで結婚。子どもは欲しいと思ったらすぐにできると思っていたので、しばらくはきっちり働こうと、お互いに仕事を頑張っていました。
28歳になってそろそろ子どもをと考え始めた頃、友人に月経サイクルを入力して健康状態をチェックするサイトを紹介され、つけ始めました。
それまで生理のことを意識することがなかったアヤコさんでしたが、生理の終わりかけの出血が1週間続くことを友人に話すと、それは長すぎるから検査したほうがいいと勧められます。
近所の婦人科に行き血液検査を受けると、「FSHが異常に高い数値なので、大きい病院で検査したほうがいい」と言われ、紹介状を渡されました。病名を告げられたわけでもなく、ただ何かの数値が高いとだけ言われ、よくわからなかったアヤコさんは、紹介
状を勝手に開けてみました。そこに書かれていたのは“早発卵巣機能不全の疑い”という文字。「これは何?」すごく不安になって、泣きながら家に帰りました。


不妊専門病院で早発閉経の診断


当時は不妊という言葉もよく知らず、これは何かの病気なのかと思い、紹介状を持って総合病院へ行きました。3カ月間いろいろな検査をしたけれど、病名がつかないまま検査結果を持って元の病院へ。すると「うちでは不妊治療はできないから…」と言われます。「そこで初めて“私って不妊なんだ”と認識しました。検査している時からうっすらと感じてはいたのですが、気づかないふりをしていたんですね」
それでも不妊治療専門の病院には行く勇気がなく、近所の少し大きい婦人科へ。数回通ってみたものの治療らしいことは何もしませんでした。「これは不妊治療専門の病院に行かないとダメかもしれない」と思い、これまでの検査結果を持って、初めて不妊治療病院を訪れました。さらに2回の血液検査した後、ついに「あなたは早発閉経だと思います。閉経が始まっている病気です」と宣告されたのです。
その日はアヤコさんの妹が初めての赤ちゃんを出産した日で、自分の診察のあと、実家近くの病院にお祝いに向かう約束をしていました。早発閉経といわれ、絶望し号泣しながら電車に乗って妹の病院に向かいました。そこでご両親の顔を見たとたん廊下で泣き崩れ、病室には入れませんでした。


父に励まされ前に進む勇気が


それから数日間、実家で泣きながら過ごしていたアヤコさんは、ある朝、出勤前のお父さんに声をかけられます。「お父さんは、アヤコが笑って暮らしてくれることが一番うれしい。泣かれるのが一番つらい」と。後ろを向いていたけれど、その声でお父さんが泣いているのがわかりました。
その時、アヤコさんはハッと目が覚めたといいます。「泣いていても何も変わらない。私、元気にならなきゃ」と。
アヤコさんは早速行動に移りました。インターネットで早発閉経のことを調べていると、ある大学病院に「早発閉経外来」があるのを知りました。すぐにセカンドオピニオンをもらいに行きました。しかしそこでも早発閉経という診断が。AMHを調べると2回計測して、0.1未満と0.01未満。それでも医師は「妊娠できる可能性はありますよ」と言ってくれました。
その大学病院に転院し、人工的にホルモンを取り入れることによって黄体期、卵胞期などの月経周期をつくるカウフマン療法を始めました。毎日薬を飲み続けて、卵胞ができる兆候があったら注射で育て、採卵するというプロセスです。しかし薬を飲み続けても2年間は全く卵胞ができませんでした。やっと1つ育ってきた卵胞も採卵したら空胞だったのです。


IVAという新しい技術に望みをかけてチャレンジ


3年近く同じ治療を続けていた2014年の春、医師に「そろそろ違う人生も視野に入れたほうがいいのでは」と言われます。それはつまり、子どものいない人生ということ。もう諦めないといけないのだろうか…。涙があふれました。家に帰ってご主人とも話し、やはり二人とも「まだ諦められない」ということに。
前年の12月ごろIVAという
新しい技術が発表されていました。卵巣機能不全の人の卵巣を摘出し、そこに原子卵胞があれば体外で活性化し、卵管に戻す
という治療です。このままの治療で難しいならIVAが受けられないかと聞いたところ、ちょうど9月にキャンセルが出たのでそこで受けられるとのこと。アヤコさんはすぐに予約を取りました。


初めて採れた卵が奇跡の命となって


IVAの予約した後もホルモン治療を続けていると、なんと翌月に卵が育ち、初めて採卵に成功。体外受精して凍結し、9月のIVA手術後に移植することに。IVAでも卵巣内に原子卵胞が見つかり、凍結できました。そしてIVAのあと、ホルモンで子宮内膜を整え凍結胚を移植しました。
体外受精で移植し成功するのは30代で約3割と聞いていました。最初からそんなにうまくいくはずがないと思ってはいたけれど、アヤコさんは移植直後から胸の張りやむかつきを感じ、「これは妊娠したかも」という予感があったそう。診断を待ちきれず市販の妊娠検査薬を使うと、うっすらと陽性の線が。毎日1回検査をしていると、どんどんその線が濃くなっていったそう。診察で「着床していますよ」と言われた時、予感が実感に変わりました。
昨年11月にアヤコさんは女の子を出産しました。3年間の治療は長かったけれどご主人との絆が深まったと振り返ります。「主人は私がつらい時、いつも寄り添ってくれました。主人とならたとえ子どもができなくても幸せかもしれないと思った頃に、子どもを授かることができました。奇跡ですね」
IVAで摘出した卵巣は現在も凍結してあります。二人目に挑戦するどうかは、生まれた子どもとご主人との時間を大切にしながら、ゆっくり考えていきたいと今は思っています。


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.30 2016 Summer
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