仕事も好き。子どもも欲しい。それって欲ばり!?
妻、母親、キャリアウーマンできるなら、すべてを上手にこなしたい。だから、会社に“現状”を知ってほしかった。
キャリアウーマンとして、忙しく働きながらの不妊治療。
二人目なんて「もっと大変」とわかっているけれど、でも、凍結保存した胚も、大切な“命の種”だから。「産みたい」。その気持ちが、会社を動かしました。
凍結胚も“我が子”大変でも、産みたい!
「できるなら、もう一人産みたい!」と決意され、保存していた凍結胚を移植したばかりのシゲリカさん(45歳)。現在は育児休暇中ですが、実は金融会社にお勤めのキャリアウーマンです。2歳になる息子さんは、仕事をこなしながらの不妊治療で授かり、今回は子育てをしながらの不妊治療。二人目のお子さんを授かっても、仕事は辞めずに続けたいと思っています。
しかし、現実的には会社は実績重視の男社会。「当時は、不妊治療のための通院時間を確保することすら困難を極めました」と、シゲリカさんは振り返ります。不妊治療や子育てをしながらでも、女性がキャリアを積み重ね、働き続けるためにはどうするべきか。シゲリカさんならずとも、仕事をもつ女性にとっては大きな課題といえそうです。
仕事のキャリアも妊活も、どちらも大切だけれど……
シゲリカさんは、知人の紹介で6歳年上のご主人と出会い、2011年3月に39歳でご結婚。一緒に過ごす時間が心地好く、お付き合いを始めた時からお互いにすでに結婚を意識していたので、「“子どもはすぐに欲しい。仕事も続けたい。両立したいので子育てには協力してもらわないと”と、率直に申し出ました。今思うと、ちょっと高飛車でしたかね」と笑うシゲリカさんですが、年齢を考えれば当然。理解あるご主人は快諾され、新婚生活とともに妊活がスタートします。
病院には通わず、自己流でタイミング法を試すと、なんとご結婚された月にすぐ妊娠。ところが喜びもつかの間、流産という残念な結果に。「天国から地獄へ突き落された気分でした。39歳の現実を思い知らされ、“簡単には授からないかもしれない”と思い、勉強も兼ねて近所の婦人科に通うことにしました」
しかし、当時は妻でありながらも、多忙を極めるキャリアウーマンでもありました。「“その日は出張なので来られません。その日は重要な会議があるので無理”と、通院すらままなりませんでした。
すると、担当医は“あなたは今、何をしにここに来ているの? 仕事も大切だろうけれど、優先順位をちゃんとつけないと後悔することにもなりかねませんよ”と、優しい口調ではありましたがズバリと言われ、ドキリとしたことを今でもよく覚えています」と、シゲリカさん。この日から、心を入れ替えたとも。
まずは、声を上げること。環境を変える勇気が必要!
それからしばらくしても妊娠の兆候はなく、担当医に不妊専門クリニックを紹介されます。それが、とくおかレディースクリニックでした。「転院をすすめられ、“婦人科ではもうどうしようもない、高度な生殖医療が私には必要なのだ”と瞬時に思いました。転院先は人気の不妊専門クリニックですから、予約も取りづらく、これまでのような生半可な気持ちで通院するわけにはいかないとも思い、仕事との両立をどうするべきかを必死で考えました」とシゲリカさんは振り返ります。
仕事は辞めたくない、でも赤ちゃんを産むなら年齢的に今しかない。そのジレンマの中で悩んだ末に、シゲリカさんは思い切った行動に出ます。不妊治療の詳しい内容、通院スケジュールなどを細かくまとめて書類として提出し、出張や残業のない部署への移動を願い出たのです。
「直属の上司だけでなく、さらに上にも掛け合っていただく必要がありました。そのため、書類にしました」とシゲリカさん。育児休暇などの福利はしっかりした会社ですが、不妊治療のための優遇措置は前例がなく、会社に大きな一石を投じる結果となりました。
女性社員でも、有能なら会社側は手放さない!
会社側も、すぐには決断できませんでした。一度不妊治療のための優遇措置を認めてしまうと、後に続く女性社員がいるのも明らかで、部署の移動を希望する女性が増える懸念もあったのでしょう。
しかし、最終的には、会社側はシゲリカさんの要望をのみ、出張や残業がなく、比較的時間の融通の利く部署への移動を認めました。シゲリカさんが嘆願した時から、約半年後のことでした。
会社側の上層部で、どんな議論がされたのかはわかりませんが、“有能な女性社員を不妊治療などで失うのは、社の損出にもつながる”と、英断したのではないでしょうか。会社の方針を揺るがすのは、容易なことではありません。しかし、思い切って一石を投じなければ何も変わらなかったでしょう。シゲリカさんの勇気ある行動は、働きながら不妊治療をする女性にとって大きな励みとなりそうです。
高齢、多忙…という事実それでも母になりたい
しかし、通院しやすい部署に移ってからも、不妊治療は思うようにはいきませんでした。とくおかレディースクリニックに転院されてからはすぐにARTを希望し、採卵は5回。その間、子宮外妊娠があり、腹腔鏡下で左卵管の切除手術もご経験されました。
それでも諦めずに治療を続け、転院から約2年後に妊娠。その後も、切迫流産の危険もあって4カ月も入院されるなどの局面を乗り越え、42歳で男の子を出産されました。
「クリニックの勉強会に夫婦で出席し、年齢や時間的なことを考慮したうえで最初からARTを希望しました。勉強会にも一緒に行き、あらゆる面で支えてくれた主人、理解してくれた会社にも感謝しています」と、シゲリカさん。
働きながらの治療・妊娠・子育て。つらく困難な体験も多くありましたが、それでも、第二子を望む理由は?
「夫も一人っ子ですし、もういいかなとは思いますが、まだ凍結胚が残っているので」
ご主人も、「胚凍結保存を更新し続けていたので、いずれは“第二子を”と言い出すとわかっていました。妻はすべてにベストを尽くす人。そこにも惚れたので、私は協力するのみ」と満面の笑顔──。
はい、ごちそうさまです!
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.31 2016 Winter
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