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46 歳で妊娠、 47 歳で出産。 10 年に及ぶ治療を乗り越えられたのは 寄り添ってくれる先生がいたから

コラム 不妊治療

46 歳で妊娠、 47 歳で出産。 10 年に及ぶ治療を乗り越えられたのは 寄り添ってくれる先生がいたから

2016冬 p10

2016.12.15

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46歳で妊娠、47歳で出産。
10年に及ぶ治療を乗り越えられたのは寄り添ってくれる先生がいたから


「体外受精の回数をある時から数えるのをやめました」
そう語る白雪さん。少しの可能性を信じて、前へ前へと進み続けた白雪さんには、常に患者に寄り添って治療を進めるドクターのサポートがあったのです。



37
歳で始めた不妊治療。迷いはなく体外受精を決意


現在2歳半になる女の子のママである白雪さん。50歳手前とは思えないほどテキパキとしたキャリアウーマンです。
白雪さんとご主人との出会いは学生のころ。卒業してからお付き合いが始まったものの結婚には特にこだわらず30代半ばを迎えた時、ご両親の勧めで入籍をしました。もともと子どもが欲しいと思っていた白雪さんは、入籍を機会に本格的に子づくりをスタートしましたが、半年間妊娠に至らず、近所の婦人科を訪れました。そこでのタイミング法でも結果が出ず、卵管37歳で始めた不妊治療。迷いはなく体外受精を決意通水検査を受けたところ、両方の卵管が詰まっていることが判明。「そこで先生に『赤ちゃんが欲しいのなら、体外受精しか妊娠への道はないですよ』と言われ、迷うことなく不妊治療専門のクリニックを紹介してもらいました」


繰り返す体外受精にとことん付き合ってくれる先生との出会い


不妊治療へ積極的に歩み出した白雪さんですが、ご両親からは少し反対があったといいます。「両親は不妊治療なんて怖いから…、と言っていましたが年齢や体のリスクを説明し、納得してもらいました」。
保坂先生に出会ったのは、不妊治療専門クリニックに通い始めてしばらく経ってからのこと。「とっても気さくな先生で…患者との間にまったく壁がないんですよ。正直びっくりしたくらいです。その時点ですでに相当な数の体外受精を繰り返していた私に、『もう回数をカウントするのはやめましょう。数えてもネガティブにしかならないからね』とアドバイスしてくれたのも保坂先生。その時からスパッと回数を数えることをやめました」。
たび重なる体外受精を経て2010年、ようやく「妊娠」の判定が! 半信半疑だったものの、赤ちゃんの心拍が確認でき「これはいける!」と確信したのもつかの間、突然、流産してしまいます。この時白雪さん、44歳。「自分のなかでなんとなく45歳がタイムリミットだと思っていたので…この時ばかりは本当に焦ったし、落ち込んでしまいました」。
しかし、まだかろうじて卵子が採れているという事実、可能性があるならそれにかけてみたい! そう思った白雪さんはもう一度立ち上がろうと決意します。そんな時、保坂先生が独立することを知ります。「保坂先生は、絶対に『それは無理』とは言いません。私の意志を尊重して、とことん付き合ってくださいました。もし、私の妊活が終わるとしたら、保坂先生のもとで終わりたい…そう思ったから先生のクリニックに転院することを決めました」。


子宮筋腫の手術を経てようやく願いが叶った!


保坂先生のクリニックに転院後、しばらくして白雪さんは子宮筋腫の手術を受けることに。不妊治療を始めてすぐに行った、卵管水腫の手術の時に見つかった筋腫。そのころは、特に不妊治療に影響はなし、と診断されていましたが、数年経過してソフトボール大になっていたのです。タイムロスになるとも考えられた手術でしたが、保坂先生の勧めなら、と白雪さんは迷うことなく手術を決意。
この時点で45歳になっていた白雪さん、すでに不妊治療は9年近くにもなっていました。その長い治療期間を支えていたものは、「仕事」でした。「仕事がとにかく好きなので、落ち込んだ時もリフレッシュしたい時も、仕事に打ち込むことで気分転換ができていました。小さな会社なので、不妊治療をしていることはすぐに社長に話をしました。病院に行かなくてはならない時間のロスは、自分で帳尻を合わさなければなりませんでしたが、仕事を辞めてしまったら気持ちのバランスが取れなくなってしまいますから」
時には仕事を仕上げるため、不規則な生活になりながらも、保坂先生のもとでさらに治療を続けていた2013年のこと。42歳の時に採卵した最後の凍結卵(しかもグレードが低いもの)胚移植をしたあと、今までにはない出血が続きます。「これはダメだ…と思いクリニックに電話をしましたが、判定日まで待ってください、と言われ、半ば諦めてその日を待ちました」。気が重いまま迎えた判定日。白雪さんは、まさかの「妊娠」の報告を受けることに!
「え?? 嘘ですよね?」。最初に出たのはこんな言葉。とにかく「びっくり」の一言でした。


超高齢・超ハイリスク。そんな壁も見事にクリアし無事に女の子を出産


46歳でとうとう、今度こそ授かった命。嬉しい反面、その後も続く出血に悩まされ、怖くてなかなか保坂先生のもとを離れられず、クリニックに通い続けた白雪さん。そんな時にも先生は「大丈夫だから」と心強い言葉をかけ続けてくれたといいます。そして1カ月が経過して、ようやく産院へ転院。
「体外受精の痛みに比べたらつわりなんて、たいしたことはなかったです。でも、産院では“超高齢・超ハイリスク”といわれ、どんな子どもが生まれてくるのか、不安は尽きませんでした」
そして2014年2月、白雪さんは無事3164gの元気な女の子を出産。最後、帝王切開になったものの、母子ともに本当に健康なお産でした。
慌ただしく月日は流れ、今は育児と仕事に追われる日々の白雪さん。約10年に及ぶ不妊治療を継続できたのは、「私に寄り添ってくれる先生がいたことと、ルーティンワークのようになってしまう不妊治療のなか、私の場合は仕事という“逃げ道”があったことで、前へ進ませてくれたんだと思います。治療中の方は、ぜひ一日も早い採卵をおすすめしたいです」




from ドクター 治療を振り返って(三軒茶屋ウィメンズクリニック 保坂 猛 先生)


「白雪さんの強い信念に応えたい」
励まし、励まされた不妊治療


もともと決して早いとはいえない不妊治療のスタートだった白雪さん。なかなか妊娠に至らなかったのは、やはり年齢による卵質不良、そしてだんだん大きくなった子宮筋腫にありました。以前は全摘が普通とされていた子宮筋腫の手術ですが、今では不妊治療に向けてトライできるように子宮を残すことがスタンダードとなっています。白雪さんの場合、当時45 歳という年齢だったこと、そこで生じるタイムロスを考えると相当手術を迷いましたが、彼女の諦めない姿勢に、より良い方向を目指して手術を勧めました。それが最良の結果になり、白雪さんにとって価値ある治療であったことを嬉しく思っています。当クリニックではさまざまな年齢、体のトラブルを抱えて不妊治療に臨む方が数多くいらっしゃいますが、患者さんの「赤ちゃんが欲しい」という希望がついえない限り、何とか治療をサポートしていきたい、そう考えています。





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