どんな些細な質問でもとことん丁寧に応えてくれる… そんな先生のもとで無事2人の女の子を授かりました
コラム 不妊治療
「治療期間は、自分の直感や本能に従って行動してきました」そう語るYTさん。この先生となら、どんな結果でも受け入れられる!そう思って治療を続けた結果、最高の結果を得ることができました。
自然な方法にこだわり続けステップアップへ踏ん切りがつかず5年の月日が流れる…
YTさんがご主人と結婚したのは29歳の時。生理不順があり、子どもも早く欲しかったので、近所のクリニックへ早々に通い始めました。そこでタイミング法を試すもなかなか授かることができません。その後、引っ越しをきっかけに転院。一通りの検査を受けたものの、生理不順のほかには、特に悪い結果は出ませんでした。
ここで出会ったのが吉川先生。引きつづきタイミング法を続けるもうまくいかず、誰がみてもステップアップを勧められる段階に突入していました。しかし、極力自然な方法にこだわり続けて踏ん切りがつかないでいたYTさんに吉川先生はとことんつきあってくれたそうです。また、YTさんの質問に対して嫌な顔ひとつせず答えてくれる、たとえ答えがなくてもその答え方に心が救われる…そんな先生の応対に「いつもストレスを感じることなく帰宅できました」。しかしながら、すでにタイミング法を始めて5年の月日が流れていました。
先生の独立をきっかけにご主人に促され転院
そんな折に、吉川先生が独立されるとのニュース。「もしステップアップするなら、吉川先生のもとでなら納得できる」そう考えたYTさんは、ご主人のすすめもあり、先生のクリニックへと転院を決意します。「先生のクリニックは患者さんのデリケートな気持ちを汲むように、患者様同士が顔を合わせないですむように椅子が同じ方向に置かれていたり、おつりがすべて新札だったり、不妊カウンセラーの資格を持った方がなんでも聴いてくれる相談室があったり、定期的に『体外受精勉強会』を開催してくれたり、クリニックの外観も内装も病院らしさを感じないメルヘンチックな装いで、随所に先生のお人柄がにじみでるような、心づかいが行き届いた場所でした」。
ご主人の「何を最終目的にして治療を続けているのか…」との言葉に意を決して、いよいよ体外受精へと踏み切ったYTさん。初めての採卵で7個の卵子が採れました。最初の初期胚での移植は残念な結果でしたが、そこでの吉川先生の言葉を選んだ声がけにも心が救われました。また、ご主人の「落ち込んでいても結果は変わらないから、次のことを考えよう」そんな言葉も次へのステップを後押ししてくれたと言います。そして、2回目は凍結胚での移植…。結果は待ちに待った妊娠! 2012年5月にYTさんは無事、女の子を出産することができました。
2人目のトライも吉川先生のクリニックで
出産後、他県へ引越をしたYTさんでしたが2年後に2人目にトライ。「吉川先生のお顔を見るだけで気持ちがなごむから…」と2時間かけて、津田沼に通ったそうです。そして、最初の採卵時の凍結胚、移植2回目で妊娠。2015年3月に2人目の女の子が誕生しました。一度の採卵で治療は一区切りつけよう…と考えていたYTさんにとって最高の結果が待っていました。
「自分が感じたまま吉川先生についていったことで、今の家族があります。病院を卒業する時に先生がくれる“卒業証書”と卒業時のお腹のサイズのキューピーちゃんは今も私達の宝物です」。
From Doctor 治療を振り返って
津田沼IVFクリニック院長 吉川 守先生
YTさんと最初にお会いしましたのは、当時私が勤務していたクリニックでした。津田沼IVFクリニックを開業する際には、そちらのクリニックの患者様の引き抜きにならないように、私を主治医として認めてくださっていた患者様には本当に申し訳なく思いながらも、退職や開業のことを伝えないまま、ある日 急に去ることとなりました。
当クリニックは不妊症治療専門という診療の性格上、目立たぬことを患者様への最高の配慮として考え、開院時より本日まで人目につくような広告等は一切出さず、当時あったのは手作りのホームページだけ。そのため患者様はほとんど来ず・・・。患者さんの口コミと地域の先生方の紹介を頼みとしておりました。
そのような折、開院3ヵ月目にYTさんはご夫婦でいらしてくださったのです。嬉しかったです。行方不明状態の私を探し求めてくださったのです。再度私を主治医として、ご夫婦の人生をかけてご指名してくださったのです。
ご結婚後5年の経過、34歳というご年齢、前医で6回の人工授精不成功・・・。「なるべく自然な形で」というご希望、「体外受精はするにしてもチャレンジで1回だけ」というお考え。大変な難問に対し、新米開業医の私は悩みました。私やクリニックを心より信頼いただいているご夫婦の役に立ちたい・・・。
その月の排卵日に、かなり特殊な方法の人工授精を試みましたが残念な結果でした。すぐに顕微授精に取り組んでいただき、4個の胚で2人を授かり、他の2個は化学的妊娠でしたので、結局すべての胚が着床したようでした。
出産後にお送りいただきましたお手紙の一部です。私の宝物です。
第1子:『産声が聞こえた時には子・主人・私で号泣でした。主人の「よく頑張った」私「ありがとう」と何度もお互いに声をかけ合い感動の嵐!!!今まで支えて下さった全ての方に感謝しました。今もしています!!日々幸せをかみしめています。』
第2子:『心身共に手厚いサポートの中、落ち着いて出産を迎えることが出来ました。今は家族が一緒に過ごせる幸せをしみじみ感じながら日々過ごしています。』
黄色の卒業証書(現行はピンク)、大地震でダメージを受けた前のクリニック、3ケタの診察券番号(今は5ケタ)・・・今ではスタッフさえほとんど知らない開院当初のこと。
YTさんはずっと見守り、応援してくださいました。ありがとうございます。
私の目指す医療の実現であるクリニックへのご理解。とても励まされ、支えていただきました。
ありがとうございます。
YTさんも41歳。遠方へご転居され、通院も大変になりました。でも、もっともっと子供が欲しいと2度目の顕微授精に取り組まれました。YTさんのために1枚だけ最後の黄色の卒業証書をとっておきました。色あせぬ様、約6年間しっかりと保管しておきました。
最後の診療の際、不妊症治療終了という意味で、黄色の卒業証書をお渡ししました。喜んでいただけたように感じました。嬉しかったです。
10年もの間、私に大切な人生の一部を託していただき、本当にありがとうございました。
関連記事
-
治療中のつらかった思い出を、封印していたのかも 子どもってなんでこんなにかわいいんだろう…。 夫婦だけの生活がずっと続くと思っていたけど、 欲しいと思った瞬間から、大変な治療が始まりました。
コラム 不妊治療
-
心の玉手箱 Vol.21 「排卵日を気にせず、ご主人とは自然に夫婦生活を送りたい。でも、そう思えば思うほどどうしても気になって…」
コラム 不妊治療
-
私たちの目を見て言ってくださった先生の言葉を信じ、 最後と思って受けた治療で夢がかないました。
コラム 不妊治療
-
心の玉手箱 vol.36 「これまで非協力的だったご主人から「子どもをつくりたい」と思いがけない言葉が。」
コラム 不妊治療
-
採卵しても空胞ばかり……そういう体質なのではと不安に思っています【蔵本武志先生】
コラム 不妊治療