不妊治療の卒業を視野に入れつつ最後のつもりで臨んだ3回目の移植。ついに、貴重な命を授かりました。—— 。
仕事が楽しくて楽しくて。国内外を飛び回る生活
日々アトリエで作品を制作し、時には出張してパフォーマンスを行うこともある、書家のマキさん。6年間頑張った不妊治療の結果、今、彼女のお腹は少しずつふくらみ始めています。
書のクリエイターとして広告会社に勤めていたマキさんは、仕事を通じて出会った今のご主人と29歳の時にご結婚されました。もともと子どもが好きで、いずれは自分の子どもをもちたいな…という思いはあったそうですが、当時はちょうど仕事にのめり込んでいた時期。書のパフォーマンスを披露するため、国内はもとより遠くヨーロッパや中米などにまで出向く機会もあったそうです。妊娠した状態で大きな仕事を受けることへの心配もあり、常に仕事を優先し、子どもについては後回しの状態になっていたのだとか。
あっという間に結婚4年目を迎え、そろそろ子どもを…と望んだご夫妻でしたが、いざ欲しいとなるとなかなかすんなりとはいきません。すでに子どもをもつ同年代のご友人に「できない、できない」と相談していたところ、不妊治療をすすめられたのだそうです。
「原因がわかればきっとできるよ!」というご友人の言葉に背中を押され、34歳の時に初めて不妊治療専門のクリニックを訪れました。
いざ不妊治療開始!迷いながら自分と向き合う
揃って検査を受けたご夫妻に、不妊の原因はマキさんの「多嚢胞性卵巣症候群」にあるという診断が下りました。また、おそらく多忙な生活に由来するという女性ホルモンの乱れも指摘され、服薬による改善を図ることに。
専門医に診てもらったという事実ができ、さらに原因がわかったという安心が重なったことで、夫妻の胸に期待が膨らみましたが、あっという間に一年が経過。タイミング法、人工授精と試していきましたが、妊娠に結びつくことはありませんでした。
あまり後ろ向きにならないようにと心がけてきたマキさんでしたが、大きな期待と大きな落胆とを繰り返したことで、どうしても全部が自分のせいのような気がして、気が塞ぐこともありました。
また、当時勤めていた会社では書だけでなく経理や事務などもこなしていたため残業も多く、仕事と治療との両立にも神経を使いました。「業務より治療を優先してね」と言ってもらえる環境だったそうですが、忙しい時に一人だけ抜けるのは気が引けてしまいなかなかできません。また、タバコの副流煙にさらされる環境も自分の体にいいとは思えず思い悩みました。考え抜いた末、書道だけをマイペースでやっていくことに決め、不妊治療を始めて1年後に退職。書家として独立することに。
それでもなかなかうまくいかない状況に、子どもをもたないという選択肢についてもご主人とたびたび話し合ったそうです。身近に、夫婦二人だけの暮らしを楽しみながら歳を重ねているご夫婦がいらっしゃったこともあり、マキさんの中にはそういう人生もいいものだと感じる気持ちもありました。
一方のご主人は子どもをもちたいという思いが非常に強く「二人の遺伝子を残さなくていいの? まだまだ頑張ろうよ」と声をかけ続けてくれたそうです。
ですが主治医から「次は体外受精に進みましょうか」という話が出た段階で、マキさんはこのままステップアップすることにためらいを感じました。自分で注射を打つなんて、怖い。
そんな自分の感覚を大切にして、病院での治療は少しお休みをすることに。しばらくは、自分たち自身でできることに重点を置くようにしました。
いいと聞いたことは片っ端からトライしてみました。気功を始めたり、体温を上げるために体にいいスパイスがあると聞いて遠く沖縄から取り寄せてみたり、白湯を飲むことを毎朝の日課にしたり、体が硬いのでストレッチに励んだり。それは、これまで食事や生活リズムを顧みずにがむしゃらに仕事をしてきたマキさんが、初めて自分の体と真正面から向き合った大切な時間でした。
同級生の経験談に心が動き思い切って転院を決意
そんな時同窓会で、あるご友人と再会したことでマキさんに転機が訪れました。彼女は13年にわたる不妊治療を経て待望の第一子を授かったばかり。主治医の「医療法人IVF詠田クリニック」詠田医師は、患者の心に寄り添い、彼女と一緒に涙を流してくれたほど、思いやりの深い先生だったそうです。
彼女の話にマキさんは心を動かされました。怖いと思っていた注射のことについても「私も経験したけど大丈夫、何も心配ないよ」と励まされ、心がほぐれたのだそう。
その後も「本当にいい病院だから、マキちゃんも行ってみなよ!」という彼女の言葉が心に残り、私もその先生にお願いしたい…と、転院を決意。
転院後、詠田医師は前の病院の資料も読み込んだうえで、さらに詳細な造影検査などを行い、多嚢胞性卵巣症候群以外にマキさんの卵管にも問題があること、また子宮の筋肉が発達しすぎて潰れたような状態にあることを突き止めます。
ですが「まず子宮をほぐしていきましょう。少し時間はかかるけれど、大丈夫!」と太鼓判を押してもらえ、胸をなでおろしました。
指示に従って子宮をほぐす薬を服薬してみたところ、3カ月で子宮はふっくらとした姿に。卵子の質も良くなり、そこで初めて採卵を行いました。その時採れた卵子のうちの一つが今、マキさんのお腹に宿っている命の元となったのです。
書をしたためる際には、直感を大切にひと息で仕上げるマキさん。伝統的な書のみならず企業ロゴ、墨絵など多岐にわたるお仕事を手がけられていらっしゃいます。どの作品にも誠実なお人柄が表れ、見入ってしまいます
これで最後と決めていた3回目の移植で妊娠
詠田医師のもとでご夫妻は二度の移植にトライしましたが、残念ながらいい結果は出ませんでした。そして、三度目となる移植の日を迎える前にマキさんは「次を最後に、不妊治療を卒業しよう」と決意したそうです。
ご主人はこの先も諦めずに頑張ろうよ、と言ってくれましたが、40という年齢を考えるとキリがいいし、今後は今以上に良い卵が採れる見込みも薄い。また、ちょうど助成金の申請回数が上限に達する区切りの回でもありました。
それに当時、特に大きなストレスもなくゆったりと暮らしていたことから「今これだけ条件が整っている状態で頑張ってダメだったら、もう諦めてもいいかなって」。新しい命がやってきたのは、自分自身で線引きを決めていたその劇的なタイミングでした。
不妊治療だとかなり早い段階で妊娠がわかるため、妊娠初期には1日1日が過ぎるのが本当に長く感じたそうです。ですがその時期もすでに終わり、取材時には妊娠4カ月とちょっと。目下、順風満帆の妊娠生活を送るマキさんは今、ご自身の不妊治療のターニングポイントは転院にあったと振り返ります。
「転院というと、なんだか前の先生に悪いような気がして、やってはいけないことのように感じていました。でも、私の場合は転院して本当に良かったと思っています。もし今不妊治療をなさっていて、転院するかどうか迷っていらっしゃる方がいらしたら、一度思い切って他の病院にかかってみてもいいのではと、私は思いますよ」
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.36 2017 Winter
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