乳がんを乗り越え、海外での卵子提供を決意 。卵子提供という道を選んでよかった。
コラム 不妊治療
乳がんを乗り越え、海外での卵子提供を決意 。卵子提供という道を選んでよかった。
「自分の卵子では妊娠は無理かもしれない…」そう感じた時、不妊治療をやめようと決意。不安のあるなか海外での卵子提供への道を選択。
「自分の卵子では妊娠は無理かもしれない…」そう感じた時、
ずっと「ダメだろうな」と思いながら続けていた不妊治療を
やめようと決意したTさん。高齢出産、乳がん治療の中断という
不安のあるなか、海外での卵子提供への道を選択していったのです。
※2018年5月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.38 2018 summer」の記事です。
乳がんの手術と治療で妊娠もドクターストップ
表情豊かに笑い、ママのお腹を元気にキックする4カ月の赤ちゃんを抱きながら、出産までの道のりを話してくださったTさん。彼女の穏やかな笑顔からは想像できないほど、そこにはさまざまな決断がありました。
「38歳で結婚するときに乳がんの手術をしたんです。子どもが欲しかったので1年で治療はやめたんですけど、術後2年後検診までは妊娠しないようにと医師からの指示がありました」
乳がんの治療をやめてから再び生理が戻るまで半年以上かかり、そこから自然妊娠したものの流産を経験。41歳から始めた不妊治療でした。
フルタイム勤務で働くTさんにとって、最初に受診した病院は不妊治療と仕事との両立が難しい状況でした。
「それに結果もかんばしくなくて。卵子が採れず、1個採れても受精しない。『だめでした』とあっさり言われ、あなたの年齢なら仕方がないと。どうしたらよいのか聞くと、『やり続けるしかない。10回採卵したら1回ぐらいは』と言われたのですが、1回の採卵ですごくお金もかかるので、このまま治療を続けるのは難しいと思いました」
そこで、仕事帰りに通える別の病院をネットで探しましたが、そこでもよい結果を得られず、その一方で甲状腺の機能低下症の診断もあって不妊治療自体が延び延びになるなど、先の見えない日が続きました。
自分の卵子での妊娠に限界を感じ、新たな道へ
こうして10回以上採卵して、移植につながったのは2~3回ぐらいだったと振り返るTさん。以前の病院の妊活イベントで誰かが話題にしていた卵子提供のことが頭をよぎったといいます。
そんな折、九州にあるS産婦人科医院のウェブサイトに卵子提供のことが書かれているのを見かけ、一度話だけでも聞きに行こうと院長先生にメールを書いて受診することになりました。
S医院では初診のいろいろな検査を経て、院長先生の問診を受けました。「うちで一回採卵して、自分の卵子でやってみませんか」という先生の言葉に、再び採卵を決意し、臨みました。
その時たまたま自然に育っていた自己卵を1回だけ採卵したものの、結果は「やっぱりだめ」。Tさんは自分の卵子では無理だと痛切に感じたといいます。
「S医院に行ったのが43歳。本当に時間がないと思って。私は乳がんの治療を中断しているので、万が一再発したらそこで不妊治療も終わりだと、焦っていました」
S医院の院長先生からは、「自分の意思で行くのなら、行ってみなさい」と卵子提供を実施している台湾のホンジクリニックを紹介されました。先生の言葉に「この先治療を進めるのは自分次第。強い意志が大切ではないか」と思ったTさん。当時は今よりもずっと卵子提供の情報が少なくて揺らぐ気持ちもありましたが、どうせダメだろうと思いながら不妊治療を続けることはやめ、卵子提供を受けることに決めました。
自信あふれる先生の言葉で安心して海外での治療に
我が子と重ねてゆく時間。卵子提供を選択してよかった
今は幸せそうに赤ちゃんを抱くTさんも、無事に生まれるまでは不安が大きかったと言います。
「両親やきょうだいは、私の体のことをずっと心配していました」
高齢での出産、加えて卵子提供という未知の選択に、家族の心配は無理もありません。
「やはりある程度の年齢になったら自分の卵子での妊娠は難しいのではないかと思います。考え方は人それぞれで、自分の卵子でなければという人がほとんどだとは思いますが、台湾に限らず外国では卵子提供は行われています。おすすめします、とはいえませんが、絶対に悪いことではないと伝えたいのです」
やさしくて落ち着いた印象のTさんですが、その時の行動力には驚いたとご両親にはいわれたそうです。
「最初は卵子提供に反対していた人も、生まれてきたこの子を見たらそんなことは忘れてしまっているんです。不妊治療の間はその瞬間ごとにいろんな思いがありましたが、それを通り過ぎ、我が子と楽しく過ごしていると、記憶は薄れてきている気がします。遺伝子のこと、自分に似ていないことなんて気になりません」
これからゆっくりと紡いでゆく親子の時間の中で、Tさんのその思いはますます強くなっていくことでしょう。