周囲の支えがあったからこそ、この子に出会えました
コラム 不妊治療
周囲の支えがあったからこそ、この子に出会えました
不妊治療を開始したのは40歳の誕生日を迎えた翌月。
厳しい道のりを覚悟して、自分たちにできる
最大限の努力をしようと決意しました。
なんとなく子どものことを先延ばしにして気づけば40歳。
養子縁組も考え始めたマトリョーシカさんの背中を押したのは、
「可能性が少しでもあるなら諦めずにやってみよう」という
ご主人NOBUさんの一言でした。
※2019年2月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.41 2019 Spring」の記事です。
目の前のことに必死で、子どもを考えられない日々
初めて出会った時のマトリョーシカさんは出産を控えて大きなお腹を抱えていましたが、二度目の再会となる今日は元気な男の子を抱っこして、とても幸せそうな笑顔で待ち合わせ場所に来てくれました。
「この子に出会えた感動の大きさは想像以上でした。あの時諦めなくてよかったって、今でも思っています」
結婚はマトリョーシカさんが33歳、ご主人のNOBUさんが36歳の時。NOBUさんが仕事で携わったイベントに、マトリョーシカさんがお友達に誘われてお客さんとして参加したのが最初の出会いで、第一印象は“普通のお兄さん”に対し、NOBUさんは「この人だ! 見つけた!!」と直感したそうです。
結婚生活は自然な流れでNOBUさんのご両親との同居でスタート。実は当時、お義父さんが末期がんで闘病中だったことなど、さまざまな事情が重なっていて、「目の前のことに必死で、自分たちのことを考える余裕がまったくなかった」というのが本音だったようです。
一人っ子のマトリョーシカさんとしては一人でも子どもが欲しいという思いがあったものの、心労が絶えなかったNOBUさんへの配慮からきちんと気持ちを聞き出せないまま、時間だけが経ってしまいました。
「あえて言わなかったのか、言えなかったのか……。何度かその話題にふれてもスルーされているような気がして、子どもは別にいいって思っているのかなって感じる時もありました」
子どもが欲しいのか、夫婦だけの生活を望んでいるのか、それとも諦めているのか。ちゃんと確かめられないまま、子どもに対して微妙なすれ違いがあるのかなという気持ちばかり、マトリョーシカさんの心の中で大きくなっていったそうです。
そして迎えた40歳の誕生日。
「年齢的に自力での子どもは諦めようと思う。でも、どうしても子どもは欲しいから、養子縁組を考えてくれないかと主人に伝えました」
急展開にとまどいながらも同じ思いで治療スタート
過去には妊活セミナーに誘っても興味を示してくれなかったというNOBUさんでしたが、養子縁組を考えているというマトリョーシカさんの話を聞いてから、まるで別人のような変化が。営業という仕事柄、人脈が広く、多くの情報をもっていて、県内でもっとも有名な不妊治療専門クリニックの存在を以前から知っていたNOBUさん。さらに、そのクリニックで治療した友人が子どもを授かったことを思い出したのです。
スイッチが入ると驚くほどの行動力を発揮するNOBUさんは、「可能性が少しでもあるならやってみようよ。早く病院に行こう!」と、言ったのです。
「本当にびっくりしましたよ。心の準備もあるし、今までの悩みは何だったんだろうとか、ちょっとパニック(笑)」とマトリョーシカさん。「今となってはすべて笑い話」なドタバタ劇を繰り広げ、2015年8月、マトリョーシカさん40歳、NOBUさん43歳で、二人の不妊治療がスタートしました。
初診年齢40歳の決意。できるかぎりの努力を
初診に出向き、基本的な検査をひと通り受けた二人。予想はある程度できていたものの、不妊の原因だと考えられる要素は年齢以外にもいろいろと判明したそうです。
喫煙者だったNOBUさんは、精液検査の結果、精子の量や数は十分ながら運動率が悪いと指摘されました。マトリョーシカさんは月経が2カ月に1回のペースで「自分は40日周期なのかなと特に心配していなかった」そうですが、この月経不順は多嚢胞性卵巣症候群が原因と診断されました。また、体重は今より10 kgほど重かったそうで、糖尿病になりやすいと指摘されたためダイエットにも真剣に取り組みました。
「四十の手習いではないけれど、この年齢になって初めて母親を目指すというのは本当に大変なことだと自覚していたし、お金がかかるのも覚悟のうえでした。若さは取り戻せない。でも、最大限できることをするんだと、決意を固めました」
初の体外受精で妊娠反応も子宮外という悲しい結果
年齢的に時間の余裕はないものの、可能性を探る意味も込めてまずはタイミング法を3回。妊娠には至らなかったのですが、卵管造影検査では特に問題が見つからなかったので次のステップは体外受精を選択しました。
多嚢胞性卵巣症候群は、卵巣過剰刺激症候群など副作用の注意が必要ですが、その反面、卵子がたくさん採れるから、妊娠できる確率が高いという嬉しい情報も。マトリョーシカさんは7回採卵して、毎回10個以上の成熟卵胞が採卵できたそうで、特に初回のグレードのよさには主治医も驚いたそうです。
初めての体外受精は2016年2月。翌月に妊娠反応があり、こんなに順調でいいのかなと思っていたマトリョーシカさんでしたが、出血。流産かもしれないと掻爬してもなお反応があり、結果は右側卵管への異所性妊娠(子宮外妊娠)が認められました。それから2カ月後、1つ残っていた凍結胚盤胞で移植を試みることにしましたが、融解後に分割が進まず、キャンセル。治療が急遽スタートしてから半年間、両立の難しさを感じ仕事を辞めてまで、全力で治療に賭けていたマトリョーシカさんに瞬間的におとずれた妊娠の喜びと、直後の子宮外だったという悲しみ。次こそはと寄せた期待もかなわず、ぷつんと気持ちが途切れてしまいました。
「一度、原点に戻ろうと思いました。治療をお休みして、いろんなこともリセットして、前向きな気持ちになれた時にまた始めようって……」
ありのままの気持ちを受け入れて治療再開
治療中はNOBUさんの何気ない一言でイライラすることも多く、何度か激しいケンカに発展したこともありましたが、常にポジティブな彼の性格に助けられることも多かったそうです。
「不妊治療は女性のほうが大変っていう思いが強いけど、本当はお互いなんですよね」
個人差はありますが、女性は治療のつらさや痛みを口に出せても、そうはできないのが男性。治療の都合で勤務途中に抜けることを負い目に感じたり、奥さんのイライラや悲しみを一人で受け止めたり、男性も相当なストレスを抱えています。それでもNOBUさんは明るくマトリョーシカさんを支え続け、時にはケンカをしてしまうことがあってもお互いの気持ちを常に確かめ合えるようにリードしてくれたそう。
「やっぱり子どもに出会いたい、このままやめたら必ず後悔するって思いました。前向きになんて簡単になれるものじゃないし、迷ったり苦しんだりするのも当たり前でいいじゃないかって思えるようになって、治療を再開することにしました」
治療費を少しでも増やすため、仕事を探し始めましたが、治療のことを伝えると断られるなど苦戦します。次に、馴染みのお豆腐屋さんでバイト募集していることを知り、ダメ元で面接を受けに行くと、即OKしてもらえたそう。実は、お店のご主人も治療経験があり、その大変さを熟知していたのです。
「偶然だったけど、本当にラッキーでした。理解してもらえることに感謝して、頑張る意欲がさらに湧いてきました」と語るマトリョーシカさん。約9カ月間休んでいた治療を再開して、新鮮胚と凍結胚の移植を試みてもなかなか妊娠できません。でも、43歳までは可能性があるかぎり頑張ろうと決めていた二人は、以前よりも積極的に治療に取り組み、2017年8月の凍結胚移植でついに妊娠反応が確認されました。
NOBUさんとケンカしたり仲直りしたり、検査で落ち込んだりした治療中の様子から、家族が増えた喜びの瞬間や子育てに奮闘している様子など、マトリョーシカさんが描き続けているイラストには家族の日常のエピソードが満載です。
周囲の支えに感謝して大切に育てたい
グレード3だから厳しいかもという印象だったという凍結胚盤胞。着床しないかもしれないというマトリョーシカさんの心配をよそに、抜群の生命力でお腹にしがみつき、予定日より2週間ほど早く無事に生まれた3132gの男の子の名前はSOSUKEくん。
「いろんな人に助けられ巡り合えた子どもだから、人を助け、助けてもらえる子に育ってほしい」
そんな夫婦二人の思いを込めてつけた名前だそうです。
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.41 2019 Spring
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