【her story 特別編 10th Anniversary】“養子”を選択したある家族の軌跡。特別なことじゃない。 ごく普通の家族の幸せをかみしめています。
コラム 不妊治療
【her story 特別編 10th Anniversary】“養子”を選択したある家族の軌跡。特別なことじゃない。 ごく普通の家族の幸せをかみしめています。
【Her Story ~10年の時を経て~】
“養子”を選択したある家族の軌跡
特別なことじゃない。ごく普通の家族の幸せをかみしめています。
10年前の『ジネコ』プレ創刊号から4回にわたって連載した、こはるさんのストーリー「幸せのカタチ」。子宮摘出により子どもを産むことができなくなり、養子という形を選択した内容は当時、大反響を呼びました。その後の家族の物語を紹介します。
※2019年11月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.44 2019 Winter」の記事です。
- 2009年掲載「幸せのカタチ」より
子宮全摘出後、希望をくれた養子という選択
- 股関節の治療のために入院していた時、同じ入院患者からモアイのことを紹介され、すぐに意気投合。こはるの手術とリハビリを通して絆を深め、半年後の2004年11月に二人は入籍。1日も早く赤ちゃんをと願うが、こはるにステージIb期の子宮体がんが見つかる。
子宮を温存し、赤ちゃんを産むことを最後まで望んでいたが、こはるの命を優先し、最終的に二人は子宮全摘出を決断した。
術後、体は回復していったが、「もう子どもは産めない」という現実を突きつけられ、こはるは落ち込む日々を送っていた。そんな姿を見て、母親がこはるにかけたのは「養子をもらっても子育てできるよ」という言葉。絶望しかなかったこはるの心にパッと一筋の光が差し、特別養子縁組という選択を考えるようになる。
しかし、特別養子縁組のハードルは高く、なかなか子どもを迎えることはできなかった。手術後1年近くが過ぎ、「もうダメかも」と諦めていた時、友人から中国地方のベビー救済会を紹介され、二人は再び希望を持つように。
数カ月間ひたすら電話を待ち続け、いよいよ待望の赤ちゃんが。試験養育期間や裁判を経て、2007年12月26日、元気な男の子「よっしー」は戸籍上でも二人の実子となった。
寝姿、髪の洗い方はモアイにそっくり!
「お久しぶりです」と言いながら、待ち合わせの喫茶店に時間より少し遅れて現れたこはるさんとご主人のモアイ、そしてよっしーのご家族。
バイクやマラソンが趣味だというアスリート体型のモアイとそっくり、手足が長くすらりとした美少年に成長したよっしーは、もう小学6年生。12歳になります。
結婚後、子宮体がんを宣告されて、子宮全摘出をしたこはるさん。それでも子どもを諦めず、特別養子縁組という形でよっしーを家族として迎え入れ、10年が経ちました。その後、どんな時を過ごされてきたのでしょうか。
「今もそうですが、主人は単身赴任で家にいることが少ないので、よっしーと二人で過ごしていることが多いですね。私はもう息子にべったり。買い物にも連れて行くし、本人がうんざりしていても家でずーっと話しかけています」(こはる)
「普段離れて生活していることが多いので、小学校2年生くらいまでは帰ってくると大喜びしていたのですが、最近は“えーっ、お父さん帰ってきたの?”って。ほかに何か言えよ、って感じですね(笑)」(モアイ)
それでもモアイはよっしーがいること、家族がいることの幸せをかみしめているとか。
「玄関に入るとこはるとよっしーがいる。よっしーは相変わらずゲームに夢中だけど、それを見ているだけでも幸せ。僕は40歳まで独身で、このまま子どももつくらず、バイクで走り回っているんじゃないかな、と思っていたんです。それが55歳の今、家族がいて幸せな家庭がある。運がよすぎるくらいだと思っています」(モアイ)
養子という形であっても、三人は紛れもない家族。モアイとよっしーは、寝ている姿も、頭の真ん中でくしゃくしゃっとする髪の洗い方もそっくりだそう。
今は家族も多様性の時代。養子も特別な存在じゃない
一人でもたくましく生きていけるように
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.44 2019 Winter
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