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【her story vol.63[前編]】何度も流産してしまう方々に、少しでも希望をもってもらえるなら

コラム 不妊治療

【her story vol.63[前編]】何度も流産してしまう方々に、少しでも希望をもってもらえるなら

【her story vol.63[前編]】
1人目を自然に授かったから、次も当然…?
10回以上の流産を経て授かった私だからこそ、2人目不妊や不育症で苦しむ人に話したいこと。

2019.11.26

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やっと妊娠したと思っても、常に超えられない6〜9週の壁。原因不明という診断に「必ず原因がある」と自ら行動に移し、望みをかけた数度の転院、それでも流産を繰り返したサチさんが、ようやくたどり着いたのは、不育症の新たな治療法でした。


※2019年11月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.44 2019 Winter」の記事です。


編集部に届いたメールが、取材のきっかけに


「2人目不妊、不育症で何回も流産してしまう方々のお役に立ちたい。経験をお知らせしたい」。ジネコ編集部宛てにメールが届いたのは今年の夏。差出人のサチさん(40歳)が2人目を出産するまでに経験した壮絶な日々は、文面からも伝わりました。

取材依頼をして自宅に伺ったのは残暑の厳しい9月。出迎えてくれたサチさんは透明感があって笑顔がとても素敵な女性です。腕に抱いているのはすくすくと元気に育っている次女のモモカちゃん。その2ショットを見る限りでは、大変な経験をしてきたようにはとても思えませんが、このあとに聞く話の内容は、とにかく過酷。そして、最後は「サチさん自身の命があって本当によかった」と心から思わずにはいられませんでした。


 


“普通にできる”第二子計画のはずだった


今年結婚10年目を迎えたサチさんとタケシさん(41歳)は3年間の交際期間を経て結婚。当時、職場で大きなプロジェクトを担当していたサチさんには、結婚=退職という選択肢がなく、同じ県内ながら片道2時間の距離での週末婚から二人の生活はスタートしたそうです。

サチさんの仕事が順調に終わり、お互いの両親からも「いつまで別居を続けるの?」と心配されるようになったこともあり、退職と引っ越しを決意。新しい職場も決まり、1年4カ月続いた別居を解消して平成23年4月から二人で暮らす生活が始まりました。

「結婚して一緒に住めば、子どもが欲しいと思った時にできるのが当たり前っていう感覚で、自分がのちのち不育症に悩まされるなんて、まったく思いもしませんでした」と語るサチさん。同居してすぐに自然妊娠し、翌年、第一子となる長女を出産しました。この時は妊娠して1カ月が経った頃に出血があり、切迫流産の可能性もあったため1週間入院。退院して職場復帰するもその日にまた出血してしまったため1カ月の療養期間に入ったそう。出血の原因は特にないとのことでしたが、赤ちゃんに近い場所の絨毛膜下血腫による出血痕があり、「そこから血が出たんでしょうね」という程度の診断でした。それでも、無事に生まれてきてくれた長女。初めての子育てながら、30歳を超えての第一子ということで、「とても落ち着いて、育児を楽しめたかなって思います」。

タケシさんには妹、サチさんには弟がいて、2人目を望むのは自然の流れだった二人。出産から1年半後には生理も再開し、第二子計画へ。この時、サチさんは35歳、タケシさんは36歳。自宅での妊娠検査で陽性反応が出るも病院に受診する前にダメになることが数回あり、それからはなかなか妊娠もしない状態が続いたため、県内にある一般婦人科のA病院で不妊治療を行うことに。ここが不妊治療のために通った最初の病院です。

子宮卵管造影検査も特に問題が見つからなかったのですが、1年かけてタイミング療法と人工授精を数回試しても着床さえできなかったため、主治医の紹介で隣市のK病院へ転院。2軒目にしてサチさんにとって初めての不妊治療専門クリニックです。

「名前でなく番号がテレビ画面に表示されるし、静かで、下を向いているか携帯を触っているか、ほかの人と目を合わせたり、話を聞いたりしてはいけないような印象を受けました」


 


不育症を疑うと同時に病院への不信感が


自宅から1時間弱かけて通ったK病院。血液検査など基本的な検査で何も問題がなく、この時はまだ3人目まで考えていたためなるべく早いステップアップを希望して、人工授精を1回、次は体外受精を試みました。
体外受精1回目は妊娠反応が出たのに子宮内に赤ちゃんが見えず、子宮外妊娠を疑い、掻爬手術します。2回目は妊娠して6週目に心拍確認後、切迫流産。3回目、4回目もまったく同じ周期で心拍確認後に流産してしまいます。

この頃から、サチさんに「自分は不育症なんじゃないか」という気持ちが芽生えてきました。職場にも不妊治療をしている先輩がいて、その会話のなかで「不育症」というワードが出ていたのは何となく頭の片隅にあったサチさん。第一子を出産できていたため、2人目もできるはずだと思っていたのですが、さすがにここまで流産が続くのはおかしいと先生に質問しても、「染色体異常だろう」としか言ってもらえません。流産するたびに組織検査しても異常なし、夫婦の染色体検査でも異常は見つからなかったのに、毎回、染色体異常だとの診断に疑問や不信感が募り、2回目の転院を決めました。


 


第二子計画から2年。すでに転院も3カ所に


次に望みをかけたのは、自宅から1時間半の場所にあって、日本一子どもが生まれる病院として有名なF病院。初診時には自然妊娠していたサチさんが、それまで何度も流産していることや、その時の状況などを主治医に伝えると、低用量アスピリンとヘパリン療法をすすめられました。すると、今までは6週しか継続しなかった妊娠が8週まで継続。結局は流産してしまいますが、期間が延びた結果に薬の効果への期待は高まります。
アスピリンとヘパリンでもなお流産したことで、F病院の通院は初診の1回のみ、ベテランの主治医の判断で、すぐに県内の大学病院を紹介されました。この時点で転院は4軒目。

「すぐにできて当たり前」と始めた第二子計画から2年が経過し、サチさんは37歳の年を迎えていました。

その大学病院は特に重症の不妊患者さんが通っているため、一人ひとりにゆっくりと時間をかけてくれるのが特徴。原因を追究したいという思いに対して丁寧に答えてくれた主治医の存在に「私はここで癒されました」と笑うサチさん。不育症に効くと言われている漢方薬や、雑誌などで調べた言葉の意味など、忘れないようにメモに書いて診察のたびに質問し、疑問やモヤモヤをその場で解消できた環境が、「とにかく原因を知りたい」というサチさんにはとても嬉しかったそうです。

「やっぱり“人”なんだと思います」。そうきっぱりと断言するサチさん。受精卵で妊娠できたものの、ここでも9週目で心拍停止し、稽留流産してしまいます。その後も流産が続きました。

原因もわからずに、何度も流産を繰り返す日々。妊娠すると天国に昇り、流産すると地獄に落ちる、まさにジェットコースターのような精神状態で、強い女性という印象のサチさんでしたが、心は徐々に傷ついていきました。3カ月の短いスパンで気持ちが上がったり下がったり。仕事をしながらの治療でしたが、職場の先輩や仲間の顔を見ると涙があふれてしまう日もありました。それが胚を戻した回数分。だからこそ、最後まで諦めずに頑張るには、心が通い合える“人”との信頼関係が大切だったのです。
そんなある日、大学病院の売店で見つけた1冊の書籍がサチさんとタケシさんにとって、新たな不育症治療に取り組むきっかけとなり、第二子計画も後半戦へ突入するのでした。
(次号へつづく)


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.44 2019 Winter
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