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一度は諦めかけていた妊娠… 奇跡の出会いが奇跡の妊娠へ。

コラム 不妊治療

一度は諦めかけていた妊娠… 奇跡の出会いが奇跡の妊娠へ。

2017夏 P72-73

2017.5.22

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一度は諦めかけていた妊娠…奇跡の出会いが奇跡の妊娠へ。重度の無月経だった私を自然妊娠へ導いてくれた先生との「絆」




 


まるで何かの糸でつながっていたかのような、まいさんと美馬レディースクリニックの美馬先生との出会い。年齢は若いものの、重度の無月経、不妊治療との闘いの末、まいさんは無事に男の子のママになりました。


就職して過労勤務が続き、日に日にたまるストレス…ある日突然、無月経に


新卒で、大手の証券会社に就職したというまいさん。配属されたのは新規開拓営業部。朝は4時起き、勤務が終わるのは22時ごろという毎日。体が悲鳴を上げるのに時間はかかりませんでした。

「たまっていた疲労とストレスで今まで普通にきていた生理が突然止まってしまったんです」

高校生の時の同級生だった今のご主人は、そんなまいさんの姿を見て何とかしてあげたい、とすぐに結婚を申し込んだそう。お互い22歳という若さでの結婚でした。まいさんも、定時で帰宅できる受付の仕事へと転職。妊娠のことはまだ考えず、まず体調を戻すことから始めました。

ゆっくり生活ができるようになったころ、ご主人の東京転勤が決まり、ご夫婦は上京することになります。

 



行きつけのレストランで紹介された美馬先生との出会い


東京でも受付の仕事を続けていたまいさん。上京して約2年、変わらず無月経は続いていました。30歳までには赤ちゃんが欲しいという想い、不妊治療を始めたら苦労するかもしれないという不安、そしてご主人のご両親への負い目…さまざまな気持ちが交錯していましたが、2011年、近所で評判の良かったクリニックで治療を始めることに。

このころ自分の体にも良いものを…とまいさんが時々訪れていたのがマクロビオティックのレストラン。レストランのママに自分の体調のことをたまたま話していたら、同じお客様だった美馬先生を紹介されたのだそうです。

「ちょうど先生がゆっくり過ごされていた時期で、何かあったらメールして、と気軽に言ってくださったんです」

近所のクリニックでは、タイミング療法からすぐに人工授精にステップアップするも結果は出ません。まいさんは、クリニックで出された診断について、今思えばたわいもない悩みなどを美馬先生にメールで相談していたそうです。

「先生はいつも必ずお返事をくださって、前向きになる言葉をかけてくださいました」

その後、まいさんはクリニックで体外受精の提案を受けますが、ご主人がこの時初めて納得しなかったといいます。

「そこまでして赤ちゃんが欲しいの? 主人はそんなスタンスでしたが、赤ちゃんが欲しい私は少しずつ少しずつ説得するしかありませんでした。不妊治療のセミナーに参加したり、話し合いをしたり…。初めての夫婦の危機だったかもしれません」

そんな時にひと役買って出てくれたのが、意外にもご主人のお母様でした。まいさんが自分の体調と治療についてお母様に報告し、ご主人の力を借りたいことを伝えたところ、お母様もご主人を説得してくれたのだそう。やっといい流れになり、ご主人が協力してくれたものの、着床には至りませんでした。

 



先生に導かれるように転院し最後は先生が開院した美馬レディースクリニックへ


まいさんが体外受精を終えたころ、先生があるクリニックに着任されたとの報告が。すぐに転院を決意したそうです。

この時、AMHの数値は年相応だったものの、卵胞刺激ホルモン、黄体形成ホルモンなどの数値が限りなくゼロに近い状態でした。先生を信じて転院したものの、かなり厳しい状況でのスタートでした。このクリニックでは、一度顕微授精にチャレンジをしたものの、妊娠には至りませんでした。その後、先生がご自身のクリニックを開院されるとのことで、まいさんも先生のクリニックに転院することになります。

2013年10月美馬先生が「美馬レディースクリニック」を開院。美馬先生の治療方針は“卵巣を守るやさしい不妊治療”。まずは卵巣のアンチエイジングを行い、自然妊娠を目指すというものです。転院したまいさんに先生は「まず無月経から治しましょう」と提案。まいさんも悪い方へ悪い方へ傾いていた気持ちを一度リセットし「しばらくは妊娠しなくちゃいけないと考えることをやめたんです」といいます。

治療は、カウフマン療法で月経がちゃんとくるようにすること、あとはサプリメントで栄養を補ったり、体を温めるようにした程度だったそうです。

美馬先生のもとで治療を始めて約2年経過した2015年11月、まいさんに約10年ぶりの生理が。最初は不正出血かと思ったくらい突然訪れたのだそうです。そして年が明けて2月、せっかくきていた生理がまた止まってしまったけれど、いつもと体調が違う…と思ったら、なんとそれは一度は諦めかけた“妊娠”だったそう。

「あんなに痛い不妊治療をしたのに、自然に妊娠するなんて! まさかまさかの妊娠に主人も本当にあっけにとられているくらいでした」

 



つらかった不妊治療のあとはご褒美のように順調な妊娠生活と出産へ


実は気分転換に海外旅行を計画していたまいさんご夫妻でしたが「先生にここを逃したら次のチャンスはないかもしれませんよ、と言われ、私も次は流産するのでは…? という不安があったのでもちろんキャンセルをしました」。さまざまな不安がありましたが、出産は美馬先生の後輩の先生がいる産院へ。「信頼してきた先生の紹介だから絶対安心できると思って。美馬レディースクリニックを卒業する時は、寂しさもあり複雑でしたが、妊娠中はトラブルもなく、産院の先生も本当に良くしてくださり、いいお産ができました」。

32歳の妊娠、出産。一般の不妊治療としては若い年齢でしたが、若いがゆえに周りには言い出しにくく、自分の症状を一言で語るには難しく、身内以外に話すこともできなかったまいさん。「先生と出会えたことがすべてだと思います。先生と偶然にも出会えたこと、息子が五体満足に生まれてきてくれたことに本当に感謝したいと思います」。




From Doctor 治療を振り返って


「自然妊娠ができたのは真面目な生活態度によるもの」

 


前のクリニックで受精卵を見たときに正直言って「これは良くないな」と思いました。ホルモン数値は低かったものの、AMHの数値は悪くなかったので、私のクリニックに来てからはカウフマン療法で生理がくることを脳に認識させ、自律神経を安定させ、ホルモンが卵巣に働かせるようにすることから治療を始めました。彼女自身もマクロビオティックの食事に興味をもったり、体調を戻すことに真面目に取り組んだことで、自律神経が安定し、妊娠スイッチが入ったのだと思います。
また彼女には「多嚢胞性卵巣症候群」もありました。おそらく10代のころから発症していて気がつかないままで、そしてある日突然生理が止まってしまったのでしょう。
このような状態で妊娠されたのは私の経験からも非常に珍しいケースで、セミナーなどでもまいさんの例を挙げて皆さんの励みにしてもらっています。





先生のご紹介





美馬 博史 先生(美馬レディースクリニック)


東京慈恵会医科大学医学部卒。同大学付属病院産婦人科、美馬産婦人科院長を経て現職。妊孕性(妊娠する力)を守る力を訴え、体にやさしいホルモン治療、カウンセリング療法、抗酸化食事療法等を積極的に啓蒙。


≫ 美馬レディースクリニック


出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.34 2017 Summer
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