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her story は私たちがサポートしています。
何年もの治療の末、やっと授かった命。長い治療を卒業し、新たな一歩を踏み出した夫婦。
そこには様々な夫婦のカタチがありました。
*her story
不妊治療は女性一人で頑張るものではない。忙しい仕事をセーブして二人で挑んだ期限一年の不妊治療。
2020年10月16日WEB公開
年齢に問題がないのになぜ妊娠できないの?大切なのは正しい情報と知識。納得いくクリニックで無事に妊娠!
2020年10月9日WEB公開
【特別企画:彼と彼女のもう一つの選択】特別養子縁組という選択肢を知ってほしい「生後5日の息子を迎え入れ、私たち夫婦は幸せになりました」
2020年9月4日WEB公開
夫に喜んでほしくて粛々と不妊治療を続けた健康な体だから妊娠できるとは限らない。信頼できるドクターと出会い、着床不全を乗り越えて妊娠できました。
2020年6月10日WEB公開
【後編】二度の流産、死産、子宮全摘出を体験したその後…不妊治療を終えて養子縁組を決意。ある日突然やってきた赤ちゃんは、初めからわが子だったようにすくすく成長中です。
2020年6月9日WEB公開
【前編】自分が経験した悲しみ、喪失を学びに代えて相談室を開設。そして、自分が産めなくても育てることはしてみたいと夫に伝えました。
2020年2月28日WEB公開
天気のよい日は空を見上げて「ママ、ここにいるよ」。38歳で不妊治療を開始して42歳で妊娠。明るく笑って、楽しく生活していればきっと来てくれると信じていました。
2020年2月27日WEB公開
【後編】繰り返す流産と、どう戦い、克服したかを話すのが私の役目。1人目を自然に授かった私が不育症?何度も流産を繰り返しても諦めなかったから、2人目の娘と出会うことができました。
2020年2月26日WEB公開
【前編】何度も流産してしまう方々に、少しでも希望をもってもらえるなら1人目を自然に授かったから、次も当然…? 10回以上の流産を経て授かった私だからこそ、2人目不妊や不育症で苦しむ人に話したいこと。
2019年11月26日WEB公開
【ジネコ10周年企画】“養子”を選択したある家族の軌跡特別なことじゃない。ごく普通の家族の幸せをかみしめています。10年前の『ジネコ』プレ創刊号から4回にわたって連載した、こはるさんのストーリー「幸せのカタチ」。子宮摘出により子どもを産むことができなくなり、養子という形を選択した内容は当時、大反響を呼びました。その後の家族の物語を紹介します。
2019年11月25日WEB公開
東京都でスタートした新生児委託事業で里親に夫の無精子症が明らかになってAIDと養子縁組の両方の検討を同時に開始。“子どもと共にある生活”が私たちの望みでした。
2019年8月31日WEB公開
「原因不明」の検査結果を前に、戸惑った日もありました回り道することなく妊娠にたどり着けたのは相性のいい漢方・整体サロンに出合えたおかげ。心身両面の細やかなサポートに、ただ感謝です。
2019年8月29日WEB公開
抗体による染色体異常があったにもかかわらず、妊娠できた! 不妊の原因は、初めて知った抗セントロメア抗体。もう子どもを授かるのは不可能と思いましたが、奇跡が起きて一児の母親になれました。
2019年8月27日WEB公開
3回転院して、ようやく自分にあう先生に出会えた不妊治療は夫婦の共同プロジェクト。頑張りすぎてストレスを溜めたりしないよう、気遣い合い話し合いながらトライしてきました。
2019年6月4日WEB公開
“ここちゆく”―― 妊活・子育てセラピストとして妊活中に必要なのは「心地いい」時間と場所を意識的にもち、感じること。5年間の妊活&不妊治療がそう教えてくれました。
2019年6月3日WEB公開
経験して不妊治療のイメージがガラッと変わった!あえて仕事をセーブしないで不妊治療。つらいこともたくさんあったけれど、自分らしくトライできてよかったです。
2019年5月31日WEB公開
10年間の不妊治療を経て見つけた新しい道不妊治療中、相談できる人が欲しかった。その気持ちと自分自身の経験を今は不妊カウンセラーとして生かしています。
2019年2月21日WEB公開
周囲の支えがあったからこそ、この子に出会えました不妊治療を開始したのは40歳の誕生日を迎えた翌月。厳しい道のりを覚悟して、自分たちにできる最大限の努力をしようと決意しました。
2019年2月20日WEB公開
43歳の婚約中に治療スタート信頼できる先生との出会いや治療できることに感謝し、夫婦の協力と熱意で願いをかなえました。
2019年2月19日WEB公開
普通に子どもがいる家庭が築けると思っていたのにー。夫の無精子症を知った時は衝撃でした。そこから何度も話し合い20回以上AIDにトライ。台湾での顕微授精1回目で妊娠しました。
里親になることで得られた新たな人生。意地をはらず、力を抜いて考えて里親に。不妊治療で苦しみ続けたことが嘘のよう。今は「元気なお母さんでいたい」が目標です。
「甲状腺異常」という不妊原因にたどり着くまで赤ちゃんがやってこない、その原因がわからない。でも絶対に諦めたくない!不妊治療に向き合うことは、自分と向き合うことでした。
3つの医療機関での不妊治療を経て、見つけた未来夫婦とも異常がない不妊治療との闘い。「頭で考えることをやめて体の声を聴こう」漢方サロンとの出合いで新しい自分に。
転院後、移植4回で妊娠するも流産…。つらい経験を経て出産。「妊娠判定の結果を待つのがつらかった」流産のショックから、夫が治療に付き添うように。待つストレスを二人で共有し、絆を深めました―。
“特別養子縁組”でわが子を授かるという選択産めないとしても、子どもは育ててみたい。そんな自分の気持ちを確信し、養子をもらうと決意。今は、笑いが絶えない毎日が愛しいです。
「これでダメなら、ペットを飼おう」と覚悟を決めた時、待望の妊娠。 家族、友人、先生のおかげで、6年間をポジティブに乗り越えられました。
体は元気なのに不妊治療が心を蝕んでいくーー 。
長い生理不順と闘った20代、9回もの人工授精、くじけそうな日々。でも、絶対に命を諦めたくなかった。
若いし、「いつか産める」と過信していたーー 。
うまくいかず何度も傷つき、心も揺れたけれど2年半のタイミング後、体外受精で妊娠。不妊治療が大事なことを教えてくれました。
背水の陣での転院。心から信頼できる医師との出会いが、奇跡の結果につながりました。納得できる病院に出会えず、夫婦で思い悩んだ日々。何でも相談できる医師と出会い、信頼関係を築けたことが精神的ダメージを取り除くきっかけに。
「このままでは鬱になる!」と転院を決意。辛い経験をした分だけ、今の幸せをかみしめています。神様の導きがなければ、母になることの叶わなかった私の運命。村田先生に出会ったことで年子姉妹の母になり、孤独から大きく一転しました。
男性不妊、卵管障害を乗り越え、待望の妊娠。夫婦で不妊に向き合うこと。協力し、前向きに取り組むことで治療が楽しい思い出に変わりました。
“精子”が原因の不妊とわかった、その時夫は? 「僕のせいだから」と舅姑に言ってくれた夫に感謝! こんなに正直で、思いやりのある夫だからこそ、「この人の子どもが欲しい!」と、より強く思いました。
子どもができない原因は自分にある— 。選んだ道は台湾での卵子提供。心が折れそうな時も負けずに進めたから、二人にとっての“最善”が見つかりました。
3回の流産、不育症の疑いを乗り越え2児のママに——。特に体に問題がない不妊治療との闘い。「情報に振り回されない」「考え過ぎない」 とにかく前へ進むのみ、でした。
子育てをしたい人がいる、子育てが難しい人もいる——。里親制度は、“子どもの幸せ”のためのもの。それでも、里親にも“育てる喜び”がある。お互いを思いやる気持ちは、親心も育ててくれる。
流産や不妊を克服し、44歳で4人のママへ。不妊を乗り越え、子宝に恵まれたのは、食事を一から見直した体質改善のおかげ。いま悩んでいる人に「食」の大切さを伝えたい。
PCOS、片側卵管閉塞を乗り越えてがん闘病中の父に見せたかった赤ちゃん。
できることは何でも積極的にトライして無事に授かることができました。
仕事も好き。子どもも欲しい。それって欲ばり!?
妻、母親、キャリアウーマンできるなら、すべてを上手にこなしたい。だから、会社に“現状”を知ってほしかった。
1年半の里親期間を経て特別養子縁組に。同じ時間を過ごすうちに出自も、血の繋がりも、関係ないと思えて。
高齢出産のリスクを恐れず、“夫の子”が欲しい。夫を父親にしてあげたい。ほんの少しでも希望があるのなら私はチャレンジし続けたい。
もっと早く、我が子を抱けたかもしれない…長い間、ずっと生理不順だとわかっていたのに…だから今、「放っておかないで!」と伝えたい。
つらい治療も、きっと“思い出”になるはず。
マンガにすることでストレスも発散できれば、結末はハッピーエンドに!
妊活だって“楽しみ”に変換!
もっとつらい思いをしている人はいるから、私は私なりにベストを尽くせばイイかな、と。
どうして私が?不妊症なんて思いたくない!28歳で早発閉経と診断。AMHが0.01でもわずかな可能性を信じて治療を続けました。
治療歴は29歳から約4年。一度目の顕微授精の時、3つ採卵できたが、うまくいかず・・・このままの状態で採卵しても、またうまくいかないかも・・・
信頼できる医師や仲間たちに支えられて
5年間の治療は長かったけれど、今がいいタイミングだったと思えます。
娘をお姉ちゃんに… 台湾での卵子提供と家族の支え(後編)
これが最後と決めた挑戦は、“卵子提供”という選択肢でした。
娘をお姉ちゃんに… 台湾での卵子提供と家族の支え(前編)
台湾での卵子提供を決断し諦めずにやり遂げたのは、家族の支えがあったから。
数度の流産…まさか自分が「不妊症」―!?(後編)
3度の流産を乗り越えて。思い切った3カ月の治療休憩でついに待望の妊娠、出産へ―。
数度の流産…まさか自分が「不妊症」―!?(前編)
思いもよらないAMHの低い数値。「すぐできる」という思いで治療を始めました。
娘にきょうだいをつくってあげたい…
「閉経に近いです」。医師のつらい言葉にも負けずに治療を継続。次の誕生日まで続けるつもりです。
信頼できる医師との出会い、無月経症を克服し、新しい命を授かるまでに
原因不明の不妊。5年間治療を続け、最後と決めた9回目の移植で妊娠
「若いから大丈夫」── 不妊症と認めたくない気持ちがあった
体外受精に踏み切れなかったのは、自分自身と向き合おうとしなかったせい。
7回の人工授精、5回の体外受精、そして妊娠
ハードな仕事との闘い、退職…ひとつひとつをクリアし、ようやく新たな命を授かりました。
やれるだけのことはやろう。後悔したくないから、これが最後と決めてアメリカで治療を受けることにしました。
6年を経て、やっとわが子に出会えた――
流産や不妊治療を経験して、それが当たり前ではないことがわかりました
不育症を乗り越えてー(後編)
不安だった注射も、夫と二人三脚で。一緒に乗り越えてきた過去があるから今の幸せをよりいっそう深く感じます。
不育症を乗り越えてー(前編)
つらい思いも治療の大変さもわかってくれる。いつも寄り添ってくれる夫がいたから「不育症」を乗り越えることができました。
鍼灸治療で体質改善、8年目にして妊娠!
今まで気付けなかった“かくれ不調”。自分の体と向き合う大切さを痛感しました。
戸惑い、紆余曲折しながらも決断。そして今思うことは悩んで、体外受精をしてよかった。自分の体を知ることが大切だと気づきました。
子宮内膜症や年齢的な問題で採卵ができない……できることはしてきました。残された治療はあと数回。今は、これからできることを考えています(後編)
子宮内膜症やさまざまな経験を越えて、二人が出した結論とは?最後まで諦めず、できることはすべてしようと思いました。(前編)
周りの人に支えられ、励まされながら…
7年間の治療を通して強くなった夫婦の絆。二人にとって大切な時間でした(後編)
男性不妊、不育症を7年の治療で克服
諦めたら終わってしまう。「いつかは光が見えるはず」と二人でひたすら前に進んだ日々(前編)
体外受精2回を経て感じたこと、わかったこと。
主人と母、明るくて優しい二人のサポートが心の支え。自分に合うものも見えてきたんです。
治療してきたことでさらに深まった信頼感
楽しい時もつらい時もー。これからもずっと同じ歩幅で歩いていきます。
無我夢中で取り組んだ治療
夫としてできることは、シンプルに妻の話を聞いてあげること。いつも話し合い、確かめ合っていました。
体外受精、転院、人口受精からの再スタート…すべてのことが次に進むためのステップ。つらいことも、そう考えるようにして乗り越えてきました。
4度の人工授精、1年間の治療休止、そして3度の顕微授精を経て、そのときはやって来ました!
「僕は諦めていません」――。私たちの目を見て言ってくださった先生の言葉を信じ、最後と思って受けた治療で夢がかないました。
妻と向き合い、ともに歩いた2年間―。お互い見つめ合って、理解し合えた。それは、神様が二人に与えてくれた大切な時間だったんです。
必ず再び我が子に逢いたい!意地のようなものが不妊治療を続ける原動力になりました
*家族のカタチ
家族のカタチ(最終回)
厳しい面談を終え、ドキドキしながら待つ二人の元に、念願だった育ての親の新登録申し込み用紙が届く――。
家族のカタチ(3)
体外受精に挑戦するも結果が得られず、“養子”という選択も考え始めていた。でも、納得するまで治療したい。
家族のカタチ(2)
年齢を考え、早めに不妊治療を始めたが、タイミング法、人工授精とトライするも妊娠に至らず、ついに体外受精へ…
家族のカタチ(1)
積極的に不妊治療に挑戦しつづけた、"まぐ♪"と"いも"。望んでいるのは妊娠することではなく、家族をつくること
*未来のトビラ
未来のトビラ(最終回)
二人で多くの試練を乗り越えた今、偽りのない気持ちと、二人のこれからの未来が見えてきました。
未来のトビラ(3)
初めての胚盤胞移植に期待は膨らみますが、治療に終止符を打つ時が近づいていました。
未来のトビラ(2)
パニック障害の症状とも向き合いながらいよいよ積極的な不妊治療である体外受精をスタート。
未来のトビラ(1)
不妊症、そして、つらい流産と死産…さまざまな想いを抱えながらも前を向いて歩き続ける二人の物語。
*妊娠ストーリー
これまで客室乗務員として仕事もプライベートも謳歌し、気がつくと40代に。
年齢の壁という現実と向き合い、婚約中から夫婦で治療に取り組んだKさんのお話です。
夫の子どもを産み育てたい早発閉経に苦しむ日々を前向きに乗り越え、卵子提供でつかんだ幸せ。
どんな些細な質問でもとことん丁寧に応えてくれる… そんな先生のもとで無事2人の女の子を授かりました
一歩一歩、熱意で進めた不妊治療 「待つのも治療のひとつだよ」結果を急ぐ不安な私に先生の言葉がやさしく響きました。
できるなら、妊活期間を“楽しく”! 悩んで過ごすか、明るく過ごすか、不妊治療中の過ごし方は、自分しだい。だから、楽天的に!
心強い周りのサポートが私の財産! 「子宮頸がん」を乗り越え、妊娠・出産。夫、友人、そして先生…すべては信頼できる人との巡り合いがあってこそ。
一度は諦めかけていた妊娠… 奇跡の出会いが奇跡の妊娠へ。重度の無月経だった私を自然妊娠へ導いてくれた先生との「絆」
まるで、“ゴールの見えないマラソン”
回り道、迷い道を繰り返しながら、8年間の不妊治療を、夫婦で走りぬきました
突然わかった子宮頸がんの疑い─。
「もう子どもは望めないかも…」 失意のなか、出会った主人とともに夫婦で乗り越え、思いを叶えました。
卵巣手術から体外受精へ。夫婦で乗り越えた不妊治療
ダメでもともとという気持ちで挑んだ体外受精は、見事に成功しました。
*幸せのカタチ
幸せのカタチ(最終回)
「ああ、ずっと会いたかった。やっと会えたんだね──」
幸せのカタチ(3)
「子どもは産めないけれど、どうしても母親になって子育てをしたい。―」
幸せのカタチ(2)
がんを退治するのが先決。「子どもが産めないなら養子を育てたっていいじゃないの」
幸せのカタチ(1)
一見、どの家族も似てはいるけれど、そこに至るまでには、一つひとつの物語がある。
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