父がすい臓癌と診断されました
2012.10.25 20:00 4 14
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質問者: はなさん(27歳) |
余命半年だそうです。
まだ55歳です。
私は5年前に嫁に行きましたが、
弟が今年、家業を継いだばかりです。
父も母も、会えば気丈に振る舞っていますが、やつれています。
私も子供達が寝たあと、夜は泣きっぱなしです。
どうして、どうして、という思い、
何の悩みもなしに、気楽に暮らしていた一ヶ月前が憎い。戻りたい。
どうしたら良いのか分かりません。
少しでも気楽に…前向きになりたいです…
また、父に何を残してあげたら良いのでしょうか…
回答一覧
主さんと似たような年令のときに、母をガンで亡くしました。
余命半年と言われ、1年2カ月を全うしました。
母は、56歳でした。
パートナーであるお母さんは、計り知れない寂しさがあると思います。
現実とごっちゃで夢であったらいいなぁと思いますよね。
うちの場合は、母が入退院を繰り返し最後の方は、入退でした。毎日仕事帰りに面会行きました。雨の日も風の日も。
苦しかったし悲しかったけど、亡くなるまで泣けませんでした。
なんか、必死でした。
お父さん、かわいそうですね。此の世に誕生させてくれてありがとうと、感謝の気持ちを今一度伝えてあげてください。
2012.10.25 20:23 22
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ぎゅーにゅー(36歳) |
つらいですよね。
私の父は、私が20歳の時に肺癌で亡くなりました。
亡くなる前年の春ぐらいの健康診断では異常がなく、でも秋口から咳が出るようになり12月に病院に行ったら肺癌が見つかり、しかも末期でした。
余命半年でしたが翌年5月に亡くなりました。
私は20歳の時には働いてましたが、それまでは、父が単身赴任でいないことをいいことに遊んでばかり。
父が体調崩したその年は、やっと久しぶりに一緒に暮らしはじめられる年でした。
昔には戻りたくても戻れません。
主さんのお父様はまだ今生きてます。
今が親孝行する時ですね。
些細な事でもお父様が望まれること・主さんがお父様にしてあげたい事をしてあげてください。
一番は家族が一緒にいる時間を増やす事がいいことかもしれません。
周りにいる人も辛いですが、本人が一番つらいはず。
最期まで、笑顔でいてあげてください。
私は一緒にいる時間を増やして何気ない話したり、そういう些細な事をしてましたが(入院だったので)4ヶ月半はあっと言う間で時間が足りなかったです。
入院じゃなければ、父がしたかった釣りとかも行けたかもしれないけど、体力的にも無理だったかな?
でも一緒に家で食事したかったです。
私の話を長々とすみませんでした。
2012.10.25 21:01 10
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親孝行したいけど…(27歳) |
私も母を大腸がんで亡くしました 57歳でした
人生80年とか言われている時代に50代で亡くなるなんて…早過ぎるし残された父がかわいそうでなりませんでした
家族が大病を患うと本人はもちろん家族も本当に苦しいですよね
うちの母は余命9ヶ月だったけど2年半がんばりました
弱っていく姿を見ていくのはホントに辛かったけどその月日を与えられたおかげで現実を受け入れ 心残りのないように伝えたいことを伝えれました
今思えば亡くなった時よりも病気が見つかってその現実を受け入れるまでが一番苦しくツライ時期だったように思います
主さんが今そんな時かもしれませんね
お父様にとっての楽しみを数日先に、数週間先に作ってあげて前向きに治療が出来るようにしてあげてください
メンタル面でも病気の進行が左右されたりするそうですよ
2012.10.25 21:58 12
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さこ(33歳) |
何と言っていいかわかりませんが
友達のお父さんがすい臓癌で亡くなってます
末っ子の友達が同居して面倒見てました
お父さんの希望で病院へ入れず最後まで自宅で診たそうです
私は祖父母を亡くしてますが、最後は家で診てあげたかったのに叔母の希望で病院で過ごさせてしまったのが可哀想でなりませんでした
(喉につまったら大変だからとほとんど水も飲ませてもらえず喉が渇いたと言ってたんです。私なら寿命が少し縮まっても水を飲ませてあげたかった)
なので自宅で診るのはとても大変だったようですが、家で過ごせたのは幸せだったのではと思います
同じようにしろと言うわけではないですが・・・
また、友人はお父さんの亡き後、子供を産んでますがお父さんそっくりで生まれ変わりではないけど、そういった運命を感じるようなことがありました
お母さんはそれは喜んで可愛がってるようです
私の叔母は余命半年と言われてからも3年生きました
何があるかわかりませんので少しでも毎日を大事に過ごせるように願ってます
2012.10.25 22:29 6
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ふみ(32歳) |
こんばんは。
今とても辛いですね。私も28才の時、父をガンではありませんが難病で亡くしました。
父は55才でした。
父が病気になるまで私は都会で離れて一人暮らしをしていました。
高校卒業して短大に行き、そのまま就職。年に数回帰省するくらいでした。
父の病気を機に仕事を辞め実家へ帰りました。
私が帰ってすぐに悪化し救急車で病院に運ばれて入院。三ヶ月後に亡くなりました。
私は毎日病院に通い、父の姿を見ては涙が出たりとかなり辛かったです。
離れて暮らしてた分、その三ヶ月はずっと一緒に居てあげました。
特に何をしてあげる事も出来ませんでしたが、主さんにはお子様もおられるようなのでお父様に沢山会わせてあげて、少しでも長く一緒に過ごしてあげれたらと思います。
自宅で過ごす事が出来るなら近場でも出かけたりしてお父様との思い出を作ったりしてみてはどうでしょうか。
辛いとは思いますが、後悔のないようにして下さいね。
2012.10.25 22:31 9
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ゆめ(34歳) |
私の母も50代の時に膵臓癌になり、余命半年を宣告されていたのですが、
膵臓の摘出手術で無事に癌を克服し、
膵臓がないので、ちょこちょこインスリン注射を打たねばならないけれど、
自営の仕事も再開できる程、元気になりました。
父も肝臓癌になって余命宣告されていたのですが、
肝臓を摘出し、癌を克服しました。
もう十数年前の話しですが、2人とも70の今でも仕事までして、
100まで生きそうなくらいの勢いで元気ですよ。
なので、諦めるのはまだ早いのではないでしょうか?
もしかして、手術も出来ないくらいなのでしょうか?
私の父と母も末期だと言われていたのに克服しました。
でも、私も、父と母が余命宣告された時は、結婚もしてなかったし、
「お前の花嫁姿が見たかった」って言われた時は本当に辛かったです。
主様はお父様に孫の顔まで見せてあげれているのですよね。
私も2人が頑張ってくれたので、無事に花嫁姿を見せる事が出来ました。
辛いでしょうけど、娘の幸せな姿を見せる事が一番、
親にとっては幸せな事だし、残せる事だと思いますよ。
2012.10.26 01:17 9
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あっちん(43歳) |
はなさん…本当に、お辛いでしょう。
私と同じ年齢です 早すぎますよね…
今、はなさんに出来る事は、出来る限りお父様に会ってあげて下さい。
命ある者、何時かは亡くなります。悲しいけど…これが現実です。今の出来る範囲内での精一杯の、親孝行をしてあげて下さいね。
はなさんの、お気持ちは、私も計り知れない程わかりますが どうか、自分に負けないで下さい。
こんな言葉しか、 出来ないですが…
はなさんが産まれた時から、お父様のお姿は焼き付いていると思います。
頑張って下さい。
2012.10.26 02:25 9
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さき(54歳) |
私も52歳で、父をなくしました。闘病生活が2年でしたが、ほとんど入院生活でした。
忘れないのは、マックシェイクがのみたいといった言葉。今でも、シェイクを頼むと思い出します。遺品を整理して日記帳が見つかり、死に対する恐怖感と残された家族への最後の言葉が記載されてて、涙がでましたね。
残された時間を、出来るだけ一緒にいる事が親孝行ではないでしょうか。
2012.10.26 07:29 10
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孝行したかった(36歳) |
済陽高穂という先生が、ガンの食事療法の指導をしています。余命宣告された方でも、助かっている症例がいくつもあるようです。
主に、玄米菜食と果物と野菜を搾った生ジュースが基本療法で、塩分と高脂肪食を制限します。
他にも、がんの食事療法を提言している方法はありますが、済陽先生は、現役の消化器がん治療の先生ですから、試してみてはいかがでしょうか。指を加えてみているより、少しでも何かできるのなら、そのほうがいいですよね。
済陽先生は、クリニックで、診察もされているようです。一度、お会いされてみたらいかがでしょうか?
著書は、がんに勝つジュースなどがあります。
2012.10.26 09:39 4
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くろべえ(秘密) |
私も18歳の時に、父を52歳で亡くしています。
大腸がんから肝臓、全身へ転移していまして
発見から8ヶ月であっという間でした。
はなさん、どうかお父様の前では心を強く持ってください。
一番お辛いのは闘病するお父様です。
治療はされるのかわかりませんが、手術にしても
抗がん剤治療にしても、過酷です。
うちも母は気丈に振舞っていましたが、
人知れず涙を流していたのだと今となっては
推測します。
主治医の先生に治療方針と相談しながら、
体が動けるうちにお父様の望むことを叶えてください。
本当に末期になれば自宅に帰ることはおろか
ベッドから離れることもできなくなりますので・・・
うちは出不精で無口な父でしたので、希望は
「自宅に帰りたい」でした。
亡くなる1週間前まで在宅で往診して頂き看護しました。
これは私の母が看護師だったのでできたことだと
思います。遺言も何もありませんでした。
何も言わなくても大丈夫。それが父の遺言だったと
思っています。
近くに実績のあるホスピスに空きがありましたら
そちらに転院したほうが、手厚い看護は受けれるかも
しれません。
2012.10.26 10:08 4
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ミルクティー(秘密) |
父が膵臓がんでした。
癌にいいということは、いろいろしました。
酷なことを書きますが、すい臓がんは非常に難しい癌です
手術ができる人も少なく、手術できることじたい運がよかった人だと
思います。ましてや、克服できる人は本当に限られた人たちです。
私もホスピスがいいのかな~と思います。
家庭での看取りはかなり大変です。
お母様だけではおそらく無理だと思います。
父は家庭での看取りを望みませんでした。
知り合いが家族の看取りを自宅で行い、その大変さを家族に
味あわせたくなかったようです。
あなたにできることは、できるだけ実家にいって お孫さんをあわせてあげることだと思います。
2012.10.26 10:57 5
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まな(32歳) |
はなさん、辛いですよね。
子供としてお父様に何をしてあげれるか、日々考えてしまいますよね。
私の父も今年5月に癌がみつかり(大腸・肺・脳)、余命半年を宣告されました。
その時は父が近い将来いなくなる現実を受け入れることができず
泣いてばかりの毎日でした。
しかし、一番辛いのは父であり、一番前向きに治療に取り組む父の姿を見て、泣くのをやめました。
手術もできず、抗がん剤のみの治療。
今は4回の抗がん剤をして、概ね経過は良好で大腸と脳の癌は完全とは言えませんが、ほぼなくなってるそうです。
本人は「あと1年!」と笑って言っていました。
強い人だと心の底から思い、尊敬しています。
今、父は働いており「死ぬまで働く!!」と言っています。
それが父の原動力になってるみたいです。
もちろん、長くはない人生、母や子供たち、孫たちとずっと一緒にいてほしいですが、父がしたいようにするのが一番ですので、
できる限り会いに行っています。
そして、父が一番したい事は「家族と食事」だそうです。
家族が集まってお酒を一緒に飲む事が一番の幸せだそうです。
はなさん、どうか気を落とさずお父様の力になってあげてください。笑うことは一番の薬だと私は思ってます。病いの中「笑う」ということ忘れがちになっていると思います。
お父様と一緒に笑って過ごせるよう祈ってます。
2012.10.26 12:05 2
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ゆみ(29歳) |
主です。
皆様のフォロー、一つ一つ涙しながら読ませていただきました。
また、辛いご経験を思い出させてしまい、大変申し訳ありませんでした。
父はまだ生きています。
会いに行けば、笑顔を見ることが出来ます。
幸い、実家は近くなので度々顔を出そうと思います。
大切な事を改めて気づかせていただきました。
泣いてばかりではだめですね。
ホスピスについても、家族と話し合ってみます。
食事療法も試したいと思います。
本当にありがとうございました。
2012.10.26 13:30 4
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はな(27歳) |
私は19歳の時45歳の父を前立腺癌で亡くしました。
発見した時はもう末期で余命1年と言われ遠方の病院に行ったり外国まで行ったりサプリメント的な物も飲んでました。3年位闘病生活でした。
病気が発覚した時からずっと泣きっぱなしでした。
私は一人っ子で高校卒業してから都会で就職しましたが気が気でなく帰ってきました。ファザコンですかね…亡くなったからと言って忘れる事なんてできないし、今を心残りなく過ごしてください。私は後悔ばっかりなので…
主様の気持ちよーく分かります‼どうしてこうなったのとか頭グルグル考えてました。
私も何かしてあげたかったのですが、なんか亡くなるからそういう事すると思われるのもイヤでなにも出来なかったんです。
今思えばそんな事気にせず父がしたい事を聞いてやれば良かったと…
辛すぎると思いますが…受け入れるしかないので
後悔がないように…お父さんに思い出作ってください。
2012.10.27 08:50 3
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ガチャピン(26歳) |
お返事について
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