HOME > 質問広場 > くらし > 貧乏自慢ありますか?

貧乏自慢ありますか?

2010.9.23 00:21    0 6

質問者: かえさん(35歳)

妊娠中の私は主人とふたりでアパート暮らしです。

子供が産まれたら決して裕福な生活はできないけど可哀想な貧乏生活は避けたいです。

なぜなら私は子供の頃、4人家族で4畳一間の風呂無しトイレ共同アパートにすんでました。

友達も呼ぶ事は出来ず、私の荷物(おもちゃや服)は玄関の外に置かれていました。

ひな祭りの時に田舎からお雛様が送られてきて部屋に飾ったはいいのですが、寝る場所がなくて寒い中ベランダで寝たのを覚えています。

おやつはパンの耳か野菜(たぶん食べれる雑草)でした。

停電でもないのにローソクに火を付けての灯り(節約か電気を止められてたか?)おかげで目が悪くなりました〜

貧乏生活が長かったせいかあまり良い思い出がありません。
私の子供には辛い思いをさせたくないです!

私はこんな貧乏生活を送ってた、今現在貧乏でこんなに苦労してるというお話を聞かせて下さい。

応援する あとで読む

この投稿について通報する

回答一覧

かえさんも子供の頃苦労したんですねぇ‥私もです!でも私はまだマシだったのかな?6畳×3部屋に台所に風呂トイレ付きの一軒家(祖母所有)に兄弟6人と母で住んでました。かえさんと同じ様にロウソク生活なんか我が家では普通でした(電気が停められた為)かえさんみたいにベランダで寝るという事はありませんでしたが、冬は電気が停められた時は家の中にいても寒いので大雪の中夜兄弟全員で外で体が温まるまで雪合戦して体が温まったら走って家に帰り寝る!夏は暑いから全員で外で水浴びして終わり(ガスが停められて風呂に入れない為)ご飯は毎日学校で給食食べて終わりとか。まだかえさんのお家はおやつがあっただけ羨ましいです(笑)我が家はパンの耳のおやつすらありませんでしたから(笑)トイレもぼっとんで落とし紙でトイレットペーパーに憧れました(笑)そんな私も成人し主人に出会って主人の家に行った時お米が10kgを2つもストックしてあるのを見て、この人は凄くお金持ちなんだ!!と思い、主人に確認した所電気、ガス、水道を停められた事がないとの事!!(当たり前)これは私は玉の輿に乗れる!!こんなボンボン逃がしてはダメだ!!と思いましたね(笑)別に玉の輿だと思って結婚した訳ではなく、主人が好きだから結婚したんだけど、かえさんと同じ様に私も昔貧乏だったから子供には同じ思いはさせたくないですね。私はある意味貴重な体験をして来て逆に小さな事ではビックリしないけど、子供はやっぱり、おやつも与えて(笑)暖かい家庭で育てたいです☆私も12月に出産ですが、かえさんも元気なお子さん産んで下さい♪

2010.9.23 15:38 17

アンハ゜ンマン(27歳)

かえさん、こんにちは。
かえさんも大変な思いをされたのですね。
私もかえさんほどでは有りませんが、つらい思いをしました。

中学一年の時に父が経営していた会社が倒産し、持ち家を追われ、借家の六畳二間に親子四人で住む事になり、台所の隣の部屋には家財道具が山のように積まれ、奥の部屋は日中は食卓、夜は一家四人寄り添うように寝ていました。

せっかく合格した私立の中学も中退し、公立の中学校に通う事になりましたが、学校指定の制服や体操服を買うお金がなくて、母が近所のリサイクルショップを駆けずり回り、キツキツの制服をようやく着れました。

しばらくすると今度は通学用の白い運動靴を買うお金に困り、近所の同じ中学の卒業生にいただいた運動靴や靴下を履いて通学していました。

高校入学後も電車通勤の定期代がもったいなくて、中学で履いていた汚れた運動靴を履いて片道10kmほどを自転車で通学していました。
高校二年の頃にそれまでアルバイトをしていた父の再就職が決まりました。

ようやく普通の生活が出来るようになり、母に買ってもらった中学一年以来履いたことがない真新しい革靴と定期券がものすごく嬉しくて仕方がなかったのを覚えています。

自分のようなつらい思いを子供たちには絶対にさせたくないと思いますし,その事で昔色々と親身になって面倒を見てくれた方たちへの感謝の気持ちも忘れてはいけないと思いました。

最後になりましたが、無事のご出産をお祈りいたします。

2010.9.23 18:09 20

ゆうたん(29歳)

かえさん、こんにちは!私もビンボー自慢させて下さい。

両親と姉の4人家族で四畳半六畳と三畳の台所と風呂トイレに住んでいました。母の婚礼タンスが3つあり、学習机も2つあったのでかなり狭かったです。オマケに私たち姉妹も170センチまで成長しちゃって…ガリバー家族状態でしたよ。
保育園の頃、一軒家への転居計画も父の事業倒産により頓挫。車を差し押さえられたり、電話が止まったのは記憶にありますよ~。その後父は出稼ぎに行き、母が公務員になって頑張りました。夫婦喧嘩で近所に助けを求めたり、借金取りのおじさんがご飯に連れて行ってくれたり…(今思えば母に気があったのかな?)
当時はそれが普通の生活と思っていましたが、成長するにつれ男子に『身体はデカいのに家は小さい』とか、中学の先生に『立って寝ているのかね?』と言われたことは忘れられませんね~。さすがに思春期に入ると友達を呼べなくなり、車で送って貰っても近くで下ろしてもらってました。

その後はバブルの恩恵と母の頑張りで高校生の時に築20年の中古マンションに引っ越すことができました!姉も私も奨学金で短大などを卒業し、資格を活かして大手に勤めています。今でも母は『娘たちには全く手がかからなかったけど、お父さんには手をやいた!』と言っています。

今私たち家族があるのは『あの家の暮らし』があったからだと時々思い出しては笑っています。狭かったのに学習机を与えてくれた両親には感謝しています。
今母はそういう貧乏を知らない?姉と私の子ども(孫)達を心配しています。モノやお金の大切さやハングリー精神を私たちは身をもって体験しましたが、子どもたちは産まれたときから人並みの家と生活があって…口で言ってもイメージ出来ないみたいで…難しいですね。
主人も代々田舎の持ち家育ちなので、『何かあったら家を売って市営住宅とか入ればいいのよ』とアッサリ言うと、かなりビビっています。(私にとっては市営住宅もセレブだったのにぃ。)

とにかく、戻りたくないけど、大切な思い出です。

お身体大切にして下さいね!

2010.9.23 23:22 20

たんた(33歳)

私の実家も極貧でした。
お店をしていましたが、これが上手くいっていなかったためです。お釣りも置いてなかったくらい、お金が無かったです。

電気・水道・ガス、電話、すべてが、よく止められていました。
学校から帰ると、家の周りには借金取りがウロウロしていました。返済の催促の電話も沢山かかって来ました。今でも電話の音は少し恐怖に感じます。
コメが買えなくて、食事はふかしたイモだけ、という日がしょっちゅうありました。痩せていた私は友達に腕を掴まれ、「うわー
骨と皮しか無いじゃーん」とよく言われました。

高校も、自分の希望する学校には行かせてもらえませんでした。
電車代が払えないため、自転車で通える学校にさせられました。
(申し込み直前に受験校を変更したため、担任が怒ってしまいました。)
高校の時には、友達の家にお泊りをする「ホームステイごっこ」が流行りましたが、とてもじゃないけど家を見せることなどできず、その友達の輪からは離れていきました。

人を招いたりできなかったことは、本当に残念でした。また、電話が止められていたり、借金取りからの督促で電話に出ることができず、すぐに友達と音信不通になってしまってました。(アンタの家、電話かけてもつながらないよね~、もうかけないからねっ!!)と言われるのがとてもつらかったです。本当に仲の良い人にだけ、電話が使えない事を打ち明けたことがありましたが、貧乏だとバレると、人って離れて行くんですよね。

お金が無いことで、両親は毎晩大ゲンカしていました。訪ねてくる人間は借金取りの怖いおじさんばかり、学校に行けば貧乏くさいことを理由にいじめられ・・・。暗い幼少期・思春期でした。そんな環境で育ったせいか、わりと人間ギライです。

私は実家が大嫌いでした。小学生のころから、早く自立して、働いてお金を稼ぐんだ!と思ってました。
つらい実家暮らしでしたが、ハングリー精神が培われたことだけは、よい結果になったのだと思います。
こういう話、今までほとんとできなかったです。同じような境遇の方、いらっしゃるのですねー。

2010.9.24 15:54 13

ボンビー(37歳)

うちは持ち家でしたが幼少の頃、父が転職し給料ダウン→共働きになり、子供はインスタント食品で育ちました。母の作った手料理は殆んど記憶になく・・・ある日、友人が「今日の夕飯、酢豚やねん♪」と嬉しそうに話した時、悲しくなったことがあります。
服や下着、玩具も従姉からのお下がりでした。
今は結婚して社宅に住み、何不自由なく暮らしてますが子供たちの服はお下がりです(買えないことはないけど、すぐにサイズアウトするので)
でもインスタント食品だけは与えたくないので離乳食~ずっと手作りにしてます。
ある知人は子供の頃、ごはんに醤油をかけて凌いだ時もあったそうで・・・それを聞くと、インスタントでも贅沢やったんやな~と思いました。

2010.9.24 17:52 15

せこびっち(35歳)

私は、親の離婚で庭付き一戸建てから、ボロボロ文化住宅に母子で住むことになりました♪

文化の二階でしたが、金属の階段は腐食していて、根元が完全に土台から離れていました。
いつ壊れるか…と心配でした。
部屋は二部屋。
風呂なしです。
テレビは、アンテナが上に乗っかった、昔ながらのやつ。
ご飯は、普通に食べていた気がします。
母はおかずなしのことが多かったですが…。

でも、家を恥ずかしいと思ったことはないです。
友達も平気で呼んでました。
もしかしたら、みんな内心貧乏…って思ってたのかな(笑)
ただ、一度だけ、妹が同級生の男の子に「豚小屋」って言われたって泣いていた事があります。
その話を聞いても、私はふーーんとしか(笑)
今思えば、きっと、その男の子の親がそんな話をしていたのかなぁと思います。

私は、貧乏を苦だと思ったことないんです。
庭付き一戸建てに済んでいたころは、母親がいつも悲しそうな顔で泣いていたから…。
貧乏でも、天国のように感じていました(^^)

2010.9.25 13:43 16

さき(32歳)

1917

この投稿について通報する

この記事に関連する記事

この記事に関連する投稿

女性のためのジネコ推薦商品

最新記事一覧

相談
する

Page
top