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遠く離れて住む実父が余命半年

2006.2.5 00:50    1 11

質問者: カナタさん(33歳)

父が肝硬変の末期で、胸水腹水が貯まって苦しい状態です。今日担当医から、「今年中というのは厳しいかも、夏頃までと考えて・・・」と辛い宣告を受けました。(父は水が引けば退院できると思っている)私は遠く離れたところ(新幹線で3時間位)に嫁いでおり、又現在1歳の子供がいる為、思うように会いにいけません。普段病院では母が付いていてくれるのですが、私もできればずっと傍にいてあげたい、でも実際できない。すごく辛いです・・・。「じゃあ又来るね」と握手した時の父の弱々しい手の感触を思い出すと、胸がギュウっと締め付けられて苦しいです。誰もがいつかは肉親と別れる時が来ると頭では分かっているのですが、一緒にいられない自分に腹が立ちます。母に子供を見てもらって私が付いていようかとも思いましたが、疲れきっている母に人並み外れて活発な子を見ていてもらうのは、余計に体が辛いと思うし、かといって乳児を連れて病院に篭ることもできない、そんな状況。途方に暮れてしまいます。こんな時に遠くへ嫁いだことを恨めしく思います。近くにいれば、たとえ短時間だとしても、毎日子供を連れてでも顔を見に来られるのにと。
御免なさい愚痴になってしまいました。11月の投稿で、実家に戻って家事をこなしお父様のお世話をしつつ、ガンのお母様を看病してらっしゃる方のお話を読んで、すごいなぁとただただ感心しました。
これから何をしていてもモヤモヤした気持ちが取れないのは仕方のないことなのでしょうが、同じような立場(遠くに嫁いで、乳飲み子がいる為、思うように見舞いや看病ができない)の方がいらっしゃったら、実際どのように行動しているのか?気持ちの持ち方は?など聞かせて頂けたら幸いです。

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回答一覧


なんか文面から言い訳しているように受け取れるんですけど。
子供が小さくとも、お父様のお世話出来る時に世話をしないと後になって絶対後悔しますわよ。
実の父親の命の宣告を受けたのですわよね。
お世話できるのもわずかなのですわよ。
家が遠いなら実家にしばらく泊り込むとか出来ないのかしら。
わたくしならどんなことをしても大切な実の親ですから自分がどんなに辛くとも世話いたしますわ。自分の辛さに比べ病で寝込んでいる人はその何百倍も辛いのですから。

2006.2.5 14:36 8

エリザ(25歳)


私も実家から遠方に嫁いで乳児がいます。(新幹線だと5時間ぐらい)

妊娠中に祖母が危篤状態に。でも妊婦でやっぱり付き添えず、結局祖母にひ孫を抱かせてあげられないまま他界してしまいました。

介護の記事などを見ると、あの時もうちょっとこうしてあげれば・・と思い、後悔ってだんだん深くなる気がします。

実父はまだ健在なのですが、もし私がカナタさんの立場だったら、とりあえず主人が許してくれる範囲で、帰省して、父のそばについていたいかな?と思います。

お母様が病院にいる間、ちょっと家事を手伝ってあげたり、子供が昼寝中に
病院にお母様と交代で行ったり・・?
(実家近くの保育園に2時間だけとか一時預かりが出来る場合もあります。)

だんな様との生活や、子供の事もあるので、自宅を離れるのもそう簡単にはいかないと思いますが、自分の出来る範囲でって。

3ヶ月付き添ったから偉い、1週間しかいなかったから偉くない・・とかじゃなく、自分の生活を基本に無理ない
形で考えてみるのはいかがでしょう?
私の祖母のように後から後悔が強くなるようでしたら、動いてみるのみ!だと思いますよ。

お父様が少しでもよくなられますように・・。

2006.2.5 15:28 9

ももんが(35歳)


カナタさんお辛いですよね。なら、ご自分のしたいどうりになさった方が良いですよ。だって絶対悔いが残りますもの。貴方の居住地で短時間だけでもお子さんを預かってもらえるシステムとかありませんか?必ずあるはずなので是非探してみては?又旦那さんと旦那さんのご両親にお話してお子さんを預かってもらうわけにはいきませんか?ともかくありとあらゆる手段を探してみて下さい。悔いのないように。頑張って下さいね。

2006.2.5 21:09 7

りんりん(40歳)


カナタさんはじめまして、3年前の私のようです。
カナタさんと違うのは子供が居なかったことでしょうか?私の実母も検査入院のため元気に入院してから3ヶ月、あっという間に亡くなってしまいました。腹水が溜まり姉の子には「おばあちゃん赤ちゃんがいるの?」と言われていました。母の病気は知っていましたが、仕事をしていたため連休などで月に2度くらいしか帰れませんでした。新幹線で1時間。母危篤ということで仕事をしばらく休み、主人にも迷惑をかけましたが、父が夜、私が昼間病院で母の世話をしました。近くに住む姉は小さい子を2人かかえていたので。母が亡くなる半月、ずっと母の側に居られたことは本当に良かったと思います。私は子供の頃から母とはあまり話が出来ず、何かと口答えをしていたため、入院中はずっと子供の頃の話、主人と実父と4人で行った旅行の話などが出来ました。父には弱音をはかなかった母が私には「もう帰りたい。頑張れないよ〜」と言ったこと、思い出すと今でも涙が止まりません。
もしあの時子供が居たら、と考えるとどうだったんでしょう。でもやはり実家へ帰って子供を姉や保育園に預けてでも看病はしたと思います。最後の親孝行だと思ってカナタさんもよい結論を出してください。
母の死後、母が授けてくれたかのように子供が生まれました。大きくなったらおばあちゃんの話を聞いてもらいたいと思っています。

2006.2.6 15:17 8

ひまわり(35歳)


小学生以下の子供(時には小学生でもダメ)はお互いに感染の恐れがあるので 病室には入れない病院が
沢山あります。

逆にOKの病院でしたら
あまり良い病院ではありませんね。

ICUならなおさら。

ご主人さえ可能なら
ご実家へ子供を連れて戻られて
お母様と交互に病室に入る方法も
あります。

幼稚園や小学校なら半年も
休ませるのは難しいけど
乳飲み子だからこそ
難しい反面、時間の融通はききますよね。

ご主人がダメと言えば
ふりきってまで難しいでしょうが
私の主人は快く私を励まし
週末には実家へ毎週きてくれました。

パパと会えないのは
子供も可愛そうですから。

3ヶ月の余命と言われても2年
生きる可能性もあるので
医者は最悪の状態で話をします。
だって、1年と言われ半年だったら
大変だからです。

私の経験もそうでした。

ただ、看護、看病、介護・・・・
本当に辛いです。
きれいごとではできません。
何もしないで終わった人には
わからないツラさです。
お母様を大切に・・・

2006.2.6 21:22 12

パイン(32歳)


義父が同じような状況でした。義父は東北、私たちは九州という状況でしたので飛行機でないと帰省は無理です。
でも、なるべく帰省して、最期を看取ったことはせめてもの救いです。もし
そうできていなかったら、きっと今でも後悔したでしょうから。子供ちゃんがいらして大変だと思います。けど、私たちは結局孫の顔を見せることができませんでした。そういう意味では
親孝行できて羨ましいくらいです。
なんとか、ご自身が後悔しない方法を見つけてくださいね。お父さんともよい思い出ができますように。

2006.2.7 20:39 5

真希(36歳)


皆さん、親身なアドバイス本当に
ありがとうございました!
投稿した日より、少し時間が経ち
落ち着いて考えられるようになってきました。
======================
★エリザさん
私も皆さんからのお返事を読ませてもらってから、自分の投稿分を再度読んでみたら、自分で自分に言い訳してるなぁと思いました。(恥)
本当、今一緒にいなかったら後で後悔してもしきれませんよね。

>自分の辛さに比べ病で寝込んでいる>人はその何百倍も辛いのですから。
一番大切なことを再認識させてくれて
どうもありがとうございました!


★ももんがさん
>後悔ってだんだん深くなる気がしま>す。
本当そうですね・・・。

>3ヶ月付き添ったから偉い、1週間>しかいなかったから偉くない・・と>かじゃなく、自分の生活を基本に無>理ない形で考えてみるのはいかがで>しょう?

「うんうん」とただ頷くばかり。
何か明るい光がす〜っと差し込んだような気持ちになりました。

★りんりんさん
>ともかくありとあらゆる手段を探し>てみて下さい。悔いのないように。>頑張って下さいね。

色々な方法を提案してくださって
ありがとうございます!
早速病院の近くの託児所などを
調べてみたいと思います。


★ひまわりさん

貴重なお話を聞かせて下さり
どうもありがとうございました。

お子さんは、最後までずっと傍に付いてらしたひまわりさんへの、お母様からのご褒美だったのでしょうね。

>最後の親孝行だと思ってカナタさん>もよい結論を出してください。

はい!

★パインさん
>乳飲み子だからこそ
>難しい反面、時間の融通はききます>よね。
そうですね!
ずっと「この子がいては、どうにもこうにも・・・」と考えてばかりでした。発想を転換すればこんなに気持ちがラクになるものなんですね。

主人は、私が実家に帰っても
快くOKしてくれると思うのですが
如何せん実家と病院がまた新幹線で40分という距離(涙)な為、母は特別許可をもらって病室に泊り込んでいる状態なんです・・・。
病院の傍のウィークリーマンションなどを借りて母と交代に看病したり、子供の方は病院の近くに託児所の一時預かりなどがあるかを探してみたりしたいと思います!

>3ヶ月の余命と言われても2年
>生きる可能性もあるので
>医者は最悪の状態で話をします

そうですよね!
父の生命力を信じたいと思います。

====================
皆さん本当にどうもありがとう
ございました。
この状況に立ち向かう
勇気が沸いてきました!

2006.2.7 22:51 5

カナタ(33歳)


真希さん

お返事ありがとうございます。
後悔しないように
残された貴重な時間を
有意義に過ごしたいと思います。

皆さんに叱咤されて
「今は他に優先することなどない」
「やってやれないことは何もない」
と思えるようになりました。

本当にありがとうございました!

2006.2.8 09:52 7

カナタ(33歳)


最愛の方が亡くなる時は、たとえ自分がどんなに手をつくし、たくさんお世話をしても何かしら後悔というものは残るものなのですわ。
でも患者の方ご本人はとてもそんなにつくされれば幸せだったと、思い残すことはきっとないはずなのだと思っております。
なので、あなたもあなたに出来る最大限の親孝行をなさって下さい。
そうすると、お父様も病はお辛いでしょうけどとても人生幸せだったと思って下さるはずですわ。
ご家族皆様で協力し合って頑張って下さい。

2006.2.8 17:26 5

エリザ(25歳)


カナタさん、おつらいですね・・。
私も昨年、同じようなことを経験しています。
父は肝臓がん、肝硬変の末期で、去年3月に「夏までもたない」といわれました。
私には子供がいなかったので、毎週末は実家(新幹線と車で2時間半くらい)へ行き、見舞っていました。
姉は子供(当時1歳)いましたが、実家へ月の半分くらい帰り、実家の母の家事を手伝ったり、孫を父にみせたりしていました。
母もかなり助かったようでしたし、父も孫に会えてうれしそうでした。
その後父は小康状態で、6月に一時帰宅をしましたが、すぐに状態が悪化し、6月末に亡くなってしまいました。
危篤状態になったときに私は仕事を3週間お休みをもらい、ほとんどずっとそばにいました。子連れの姉も戻ってきて、できるだけ父のそばにいました。義兄がいるときは子供を預けて父のそばですごしましたし、子供の面倒をみながら家事の手伝いをし、子供と一緒に見舞いしていました。臨終のときまで一緒にすごすことができました。姉の子供もそばにいて、誰もなにも言っていないのに、「じいじ、バイバイ」とお別れもしていました。
私も仕事をお休みいただいたり、主人をおいていったりと迷惑をかけたかもしれないけど、「父のそばにいたい」という自分の気持ちを優先して、後悔だけはしたくないと思って行動しました。
いろいろ難しい状況もあるとは思いますが、後悔のないようにお父様との時間を大切にすごしてください。

お父様のご回復を心からお祈りしています。

2006.2.11 12:50 5

あっこ(31歳)


あっこさん
貴重なお話ありがとうございました。
父の体は日に日に衰弱していますが、
心が淋しくならないように
傍にいてあげたいと思います・・・。
どうもありがとうございました!

2006.2.17 11:18 7

カナタ(33歳)

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