赤ちゃんエッセイ:「小さな生命の大きな力」
はじめての妊娠、そして出産。楽しみでもあり、不安も少し…。そんな初心者ママを応援したいとスキナベーブでは毎年、赤ちゃんエッセイコンテストを開催しています。エッセイには、先輩ママや専門家の方の体験談がいっぱい。元気になれるエッセイが、きっと見つかります。ジネコでは、これまでの受賞作品の中から素敵なエッセイをピックアップしてご紹介してまいります。
午前零時、数ある手術室の一つで、眠い目をこすりながら必要物品を最終チェック。間もなく緊急手術が始まる。一年半ぶりの夜勤で、心拍数が増加していく。そこへnicuから、昨日生まれた2100gの患者が運ばれて来た。既に気管内挿管され、医師がアンビューバックを揉んでいる。小枝のような四肢に、点滴チューブ等、何本も繋がっている。見るのも痛々しい。臀部に児頭大の腫瘍が付着している。あっ女の子だ。思い出す。あれは一年前。
「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ」。助産婦さんは、生まれたばかりの赤ちゃんを沐浴させ、まだ分娩台に横たわる私に手渡してくれた。我が子を抱いた初めての感触は、今でもはっきり覚えている。温かくて柔らかで何とも心地よい。それまでの痛みや苦しみを忘れ、かつて体験したことのない満足感だ。「おぎゃあおぎゃあ」と力の限り泣く声。耳障りどころかもっと聞きたい。我ながら不思議だった。看護婦として、子供の手術に幾度と立ち会ったが、接し方がわからず、悪戦苦闘。それが母親になると、我が子は可愛く、自然に笑顔になる。この子の母親はまだ産科病棟のベッドの上。どんな気持ちでいるのか。やっと会えた我が子。手術室の厚い壁に隔てられ、触れる事も出来ず、声すら聞けないなんて。同じ母親として心が痛む。
「メス!」。手術開始。メスの後を追うように創部が赤く染まっていく。「電気メスが効かない!abcにしてくれ!」「はいっ」。より強力な止血器械を使用する。これが効いて、出血はみるみる減少。しばらくして医師が言う。「良性腫瘍だ。このまま剥がしていけばきれいに取れるはずだ」。この言葉に一つの光を見た。すぐに手術室前で心配する家族に知らせたかった。ちょうど血液ガス分析の検査を依頼され、部屋を出た。測定結果待ちの間に、家族に告げる。
「手術は順調ですよ」。父親らしき人が「ありがとうございます」と言い、それでもまだ廊下を行ったり来たりしている。年配の女性はハンカチで目頭を押さえ、そっと会釈した。多分おばあちゃんだろう。以前の私なら手術に立ち合うのが精一杯で、家族への配慮まで気が回らなかった。何だか少しいいことをしたような気分。検査データを手に、部屋へ向う。
ところが、データを見て驚いた。大気中の二倍量もの酸素を投与しているのに、血液中には正常値の半分しかない。さらに貧血。急に不安になり、すぐ医師に報告した。ただちに輸血開始。身体が小さいので、注射器で少しずつ入れるが、血圧が急に下がった。「血圧20!ハートレート低下!」。大声を出した。「ボスミン!」「はいっ」。強心剤は部屋にない。倉庫の救急カートへ走る。ボスミンを注射器に吸い、麻酔医に渡す。静脈注射するが効果がない。その間にも血圧は低下。ついに測定不能。心電図波形も緊張がなくなっていく。「先生!qrs幅が広がってます。40!フラット!」。一直線になった心電図を前に、手術は中断。心臓マッサージが開始された。新生児の心臓は小さく、一分間の心拍数も多い。すぐに医師の手の動きは鈍くなる。術者と助手は何度も交代しながら、マッサージを続ける。赤かった子供の顔が、だんだん青くなり、やがて黒くなっていく。マッサージを止めると、心電図はフラット。採血したくても血液は引けない。輸血をしていた麻酔医が「かたくて血液が入らない」と叫んだ。(だめかもしれない)次の瞬間、時が止まった。辺りはシーンと静まり、心臓マッサージだけが続けられた。家族に「順調です」なんて言わなければよかった。(死ぬ?)ミルクの甘い匂いと共に、分娩台で抱いた我が子の姿が甦る。冗談じゃない。ここで死なせてどうするのだ。この子の母親にもあの感触を味わって欲しい。私に何かできることはないのか。今となっては悔しいが何もない。ただモニターを見つめて、記録するしかない。(お願い。生きて!)手に力が入る。心臓マッサージは続いている。麻酔医は少しでも輸血しようと試みているが、ほとんど入らない。採血も出来ない。お手上げだ。「畜生!」。小さく呟いた。長い長い時間が過ぎていった。
スタッフに諦めの空気が漂い始めた頃だった。二時五十二分、突然「ピッピッ…」と心電図に緊張が戻った。熱いお茶に放り込んだ氷のように、凍りついた時間が、一瞬に解凍した。モニター音と共に、人の声や手術器械の音が甦ってきた。時計を見ると、心臓マッサージ開始からまだ二十分しか経過していない。子育ての二十分はほんの一瞬だ。でもこんなに長く感じたことは今まであっただろうか。モニターを再度見る。「血圧57!ハートレート110!」奇跡だ。鳥肌が立ち、目頭が熱くなる。手術再開と同時に、「採血できた」。すぐに検査。原因が判明。体内にカリウムが大量に蓄積していた。利尿剤には反応しない。別の方法で治療し、バイタルサインはすぐに安定した。「腫瘍動脈をけっさつ結紮します」。峠は越えた。大きな腫瘍が取り除かれた。870gだった。
午前四時、無事手術は終了し、子供は室内のエレベーターで、nicuに帰っていった。待合室の家族に伝えた。「無事に手術は終わって、nicuに入りました。後ほど先生から説明がありますので、お待ちください」。声が震える。これだけ言うのがやっとだった。家族は、「ありがとうございました」と何度も何度も頭を下げた。
私は何もしていない。ただ見ていただけ。子供の生命力の強さが奇跡を起こした。後片付けを終え、窓の外を見ると、東の空に金色の光が差していた。新しい一日の始まりだ。どっと眠気が襲ってきた。スタッフ三人で、ソファーに崩れるように横たわった。「あの子、脳に障害が残るかもしれない」と麻酔医が言った。障害児でもいい、とにかく生きていて欲しい。あの子の母親もそう思うに違いない。子供を持って初めて解った。生命は平等なのだ。そう思いながら眠っていた。我が子の夢を見た。(はやく会いたい)日勤者が来た。何事もなかったようにまた一日が始まる。
「マンマッ!」満一才の愛娘・志歩は保育園で、私を待っていた。その笑顔に疲れが吹き飛ぶ。思わず歩み寄り抱きしめた。「今日は三歩歩きましたよ」と保母さん。たった一晩離れていただけなのに、ものすごく成長したように感じる。志歩はその名の通り自分の力で着実に成長している。子育てをしているつもりでいたが、子供から沢山の貴重な教訓を得る。どんな立派な人のお説教より、尊い。先程の新生児も、生命力の強さで、医療スタッフに諦めない勇気を与えてくれた。頭が下がる思いだ。親として、看護婦として子供と接することの喜びを感じる。そして責任の重さをかみ締めている。
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