赤ちゃんエッセイ:「あなたの母に」
はじめての妊娠、そして出産。楽しみでもあり、不安も少し…。そんな初心者ママを応援したいとスキナベーブでは毎年、赤ちゃんエッセイコンテストを開催しています。エッセイには、先輩ママや専門家の方の体験談がいっぱい。元気になれるエッセイが、きっと見つかります。ジネコでは、これまでの受賞作品の中から素敵なエッセイをピックアップしてご紹介してまいります。
「こんな子いらない」
生まれたばかりの娘。あんなにも生まれる日を待ち焦がれて、身を裂くような陣痛の痛みを乗り越えて、やっと私のところへやってきた、小さな小さな赤ちゃん。なのに私の心は、彼女の存在を意識の中から、かき消そうとしていた。
「なんて母親」「ひどい母親」
そう考えると、ますます自分がみじめになった。
娘を出産して五日目。夫と私を前に小児科医は告げた。
「娘さんは・ダウン症・の疑いがあります」
その時、私は生まれて初めて・奈落の底・というところに突き落された。
「何?なんて言ったの?・ダウン症・?私の子どもが?誰かウソだと言って」
だけど誰も「ウソだよ」とは言ってくれない。誰も・奈落の底・から私を助け上げてはくれない。
・ダウン症・とは、先天性の染色体異常で、知的・身体の発達の遅れを伴う。そんな身の上で生まれた娘がかわいそう?そんな障害児の親になった自分がかわいそう?何をどう考えても、その現実を冷静に受けとめる心の余裕が、その時の私には全くなかった。ただ主人だけが、長い長い沈黙の後にこう言った。
「せっかく生まれてきてくれたのに、自分が生まれたことを、自分の両親が悲しんでいるなんて、あの子がかわいそうじゃないか」
本当にそうだと、頭では思った。
「よく生まれてきたね」
と言ってあげたかった。でも、涙は止まらない。無理に止めたら心が破れてしまうと思った。だから一晩中泣いた。きっとこの涙はずっと止まることはない。たとえ止められたとしても、もう二度と私が心から笑う日は来ない…。そう思っていた。
こうして、生まれたばかりの娘と、三歳になる息子と、家族四人の暮らしが始まった。娘の名前。「ひなの」と名付けた。ひなのは、いつも寝ていた。何の反応もない赤ちゃんだった。いるのかいないのかわからないくらいに。
何も知らない息子は、すぐにちっちゃな妹の虜になった。ヒマさえあれば、ベビーベッドにかじりつき、寝ている妹の枕もとにままごとのケーキやおにぎりを並べた。
「ひなちゃん。おいしいよ。食べてね」
「ひなちゃん。かわいい」
「大スキ。ひなちゃん」
彼の言葉に、このふがいない母は、どれだけ助けられ、励まされたことだろう。そんな彼に感化され、我が家では、・ひなちゃん笑わせ大作戦・を展開するようになった。息子とふたり、大きな声で歌をうたった。寝ているのをわざと起こして、ホッペをつついたり、くすぐったりした。いっぱいいっぱいキスもした。起きている時は、家族のいるリビングの床やソファーに寝かせ、いつもいつも話しかけた。ことに、息子の与える刺激のシャワーは溢れるほどだったと思う。娘の反応はすこぶる悪かったけれど、そのうち少しずつ笑うようになった。
「あ!今、笑ったよ」
「また!笑った。笑った」
「かわいーい!!」
私たち夫婦が、親バカになるのに、長い時間はかからなかった。家の中に笑いが戻った。あっけなく。私が予想していたのに反して、心底から笑っている自分がそこにはいた。
それまで私は、自分のお腹から新しい命を生み出した時点で、誰でもいつでも「母」になるものだと思っていた。少なくとも息子の時はそう信じて疑わなかった。でも、娘の時は違った。・告知・の直後、私は娘の「母」ではなかったから。私はいつ、彼女の「母」になったのだろう。
出産から三週間後、産院の小児科医に呼ばれ、・ダウン症・であるか否かの検査結果を聞いた。染色体の異常を示した図を見せられ
「娘さんは・ダウン症・でした」
と、はっきり告げられた時、不思議と前のような絶望感には襲われなかった。
「明るく、人懐こい性格の子が多いので、まわりの人に愛されます」
「発達の速度はゆっくりですが、少しずつ成長します」
「何よりも、心臓の合併症を早く治しましょう」
いろいろな特徴や、注意事項を聞いても、ひとつひとつ冷静に聞いている自分がいた。でも
「昔ほどではありませんが、短命という特徴もあります」
このひとことを聞いた瞬間、思わず涙が溢れた。
「こんな子いらない」と、思った自分。「心臓が悪いならいっそのこと…」と考えた自分。
なのにその時、「生きてほしい」と思った。なんとしても生きてほしい。娘の人生を精一杯。障害があっても、彼女の人生は彼女のものだもの。 ああ、どうしてこんな風に思えるようになったんだろう。
娘が私に教えてくれたこと。命にはいろんなかたちがあるっていうこと。「しょうがい」があってもその命の重さ、その命の尊さには優劣なんかないってこと。「しょうがい」があったって、無限の可能性が彼女にはある。負け惜しみ?強がり?いいえ。どんな人間だって、その人なりの役割がきっとある。だって娘はもうすでに、私たち家族に、こんなにもたくさんのことを教えてくれている。三十ウン年生きてきたのに、私って、なんにもわかっていなかった。こんな母を、ホントの「母」にしてくれた。いいえ、今も「母」に育ててくれつつあるのかな?
生後五ヶ月での九時間の心臓手術を乗り越え、生死の境もさまよった。そんな娘も、もう四歳。今ではめったにカゼもひかず、元気いっぱいに育ってくれている。
「おがあじゃん」
といっぱいの笑顔で私を呼ぶ。
「おがあじゃん、だあいじゅぎ(大スキ)」
と、私に抱きついてくる。いっちょまえな口を聞き、反抗期真っ只中。母は笑ってばかりもいられない。でも、こんな毎日。普通の毎日。そんな月日が私たちを本当の「母と子」にした。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
「生きててくれて、ありがとう」
ごめんね。あなたが生まれてすぐに言ってあげられなかった。あなたが生きる限り、私が生きる限り、きっと私はその事を詫び続けるよ。でも、その後悔以上に今、こんなにもあなたを愛している。
「あなたの母になれて良かった」
あなたは私の子ども。私はあなたの母。私が死ぬまで。ずっと。ずっと。