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10年間の不妊治療を経て見つけた新しい道

コラム 不妊治療

10年間の不妊治療を経て見つけた新しい道

不妊治療中、相談できる人が欲しかった。
その気持ちと自分自身の経験を
今は不妊カウンセラーとして生かしています。

2019.2.21

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不妊治療は期待とがっかりの連続。10年間の治療から卒業し、
心が空っぽになっていた時に知ったのが不妊カウンセラーの資格。
自分がさまざまな想いをしながら経験してきたことを、
今、不妊で悩んでいる人たちのために役立てよう。その決意から、新しい道が開けました。


※2019年2月25日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.41 2019 Spring」の記事です。


子どもができないことに30代でふと気づいた


「結婚すれば子どもは自然にできるものと思っていました。ところが、25歳で結婚し、同居していた主人の両親の面倒をみたり、実母を看取ったり、慌ただしく毎日を過ごしていたらあっという間に30代に。そういえば子どもができない、とふと気づいたのは32歳で義父を亡くした頃でした」と振り返る山中陽子さん(61歳)。
当時は、夫婦がいて子どもが生まれることで「家族」になるという考え方が当たり前。今のようにさまざまな家族の形が受け入れられている時代ではありませんでした。
「子どもが生まれるのが『普通』なのに、どうやら自分はその普通ではないらしい。両親に孫の顔を見せたい、主人の子どもが欲しいと思っていましたから、まずは近くの産婦人科を受診。特に原因が見つからないため治療のしようがないと言われ、大きなショックを受けました」
その後、大学病院での詳しい検査の結果、生まれつき卵管が腹膜に癒着していることがわかり、33歳で不妊治療をスタート。人工授精、体外受精、顕微授精とステップアップしましたが、成果は得られませんでした。
30代後半に入ると主治医からは、年齢が進むにつれて妊娠できる確率が下がっていくことを、データをもとに説明されるようになったそう。
「その時代にできる最善の治療方法で試していたものの、38歳になっても妊娠の兆しは見られません。徐々に一度に排卵できる数も卵子の質も落ちていくことは自分でもわかっていました。不妊治療にはタイムリミットがあります。40歳で治療を卒業するといったゴールを、自分で決めないと精神的にもしんどいなと思うようになりました」


妊娠して当然という気持ちが次第に変化


しかし、40歳になったからといって、続けてきた治療をスッパリとやめることはできないもの。やめれば子どもを授かる可能性はゼロになります。しかし、続けていればわずかでも可能性は残るからです。結局、陽子さんが不妊治療を卒業したのは43歳の時でした。
「10年間の不妊治療は私にとっては仕事のような感覚。不妊の原因は自分にあるのだから、私自身が動かなくてはいけないという使命感のもと、スケジュールをこなしていた感じです。努力すれば必ず授かると思っていたのでつらさや悲壮感はなかったです。でも、クリニックで顔見知りになった患者さんや友人たちが私よりも先に妊娠した時はやはりショックでした。祝福しながらも『次は私の番ね』と明るく言葉にすることで、自分を励ましていたりもしました」
期待と落胆を繰り返しながらの10年間で、陽子さんの気持ちは少しずつ変化していったそう。さまざまな経験や思いをする時間の流れのなかで、「絶対に妊娠できる、それが当然」という気持ちだったのが、いつしか「赤ちゃんは授かりもの。いつ授かるかわからないもの」と思うようになり、そのことが、自分に対する厳しさやプレッシャーからの解放につながりました。
「孫の顔を見せてあげたいと思っていた実父が亡くなった時、父に『もういいよ』って言われたような気がして、すっと自然に卒業することができました」


治療経験を生かして不妊カウンセラーの道へ


不妊治療を卒業後、これから何をしていいのかわからない喪失感から家にこもる日々を送っていた陽子さんでしたが、友人から「外に出なくちゃだめ」と励まされ、日本不妊カウンセリング学会主催の公開講座へ足を運びました。そこで知ったのが、治療の経験を生かせる不妊カウンセラーの資格。直感で「これだ!」と思い、すぐに養成講座の受講手続きをしました。
「不妊治療中、同じ立場にいる治療中の人ではなく、客観的な意見をくれる相談相手がいればいいなあと感じていました。不妊カウンセラーという資格を知った時、私が経験を生かして、その相談相手になればいいんだ、ってひらめいたんです」
陽子さんは2002年、45歳の時に資格を取得。現在は、学会で知り合った4名の不妊カウンセラーで『プラスハート』というグループを立ち上げ、メールでの相談を受けているほか、総合病院の生殖医療外来での不妊カウンセリングや、不妊体験者が心に溜まっていることを話せる場としてお茶会を開催するなど、ご自身の経験と資格を生かした活動を行っています。さらに、最近では1級心理カウンセラーの資格も取得して、大学で学生に対するカウンセリングにあたるなど活躍の場を広げています。
「相談を受けていて思うのは、不妊治療の技術は進んでいるのに、不妊治療を受けている人の悩みは、私の時と変わらないということ。自分を責めたり、周りの人と比べたり。いつまで続ければいいのだろうと苦しんでいる方も多くいます。治療中の方には一人で抱え込まずに相談できるさまざまな場があることを知っていただきたいし、卒業する方には、私自身、不妊治療に使った時間やお金は決して無駄ではなく、今につながる財産になったと感じていると伝えたいですね」


不妊治療を通して夫婦の絆が深まった


不妊カウンセラーとして自分自身の経験を役立てられる充実感のほかに、実感しているのは不妊治療を通してご主人との絆が深まったこと。
「実は、治療中に私から離婚を切り出したことがありました。私は自分が原因で母親になれなくても仕方がないけれど、私と一緒にいるためにあなたが父親になれないのは心苦しい。パートナーを変えることで父親になれるのなら別れてほしいと。その時、主人は少し考えて、『縁があって一緒になったのだから、子どもがいるいないは関係ない』と言ってくれました。その言葉にどれだけ救われたか。とても嬉しく、ありがたい思いでいっぱいになりました」
不妊治療をしていた10年間、陽子さんの体のことを一番に心配し、かけてくれる言葉は少なくても、いつも見守ってくれていたのはご主人でした。
「私が自分自身で卒業の決断をするまで、どんと大きくかまえていてくれたこともありがたかったです。さまざまな経験を通してお互いへの信頼が強くなり、この先何があっても夫婦でやっていけると思える大きな安心感が生まれました。これも、不妊治療を経て得られた財産だと思っています。治療をしていた頃はお互いに忙しく、二人でゆっくり話す、なんてことがあまりありませんでした。でも今はとてもよく話をする夫婦になったんですよ」
 夫婦の形はそれぞれ。子どもができなくてもコンプレックスに感じる必要はないし、母親以外の役目や生き方が誰にでもあるはずと陽子さんは言います。
「もちろん、気持ちは簡単に割り切れるものではありませんから、治療中も、卒業へ向かう時も、心の中を整理していくための時間は必要です。私も納得して卒業するまで数年かかりましたし、卒業後もすぐに気持ちの整理がついたわけではありませんでした。でも、自分で考えて決めたことなら過去の経験を前向きにとらえ、前に進むことができるはずです。これからも、自分の経験を生かして治療を頑張っているご夫婦のサポートができればと思っています」


 



出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.41 2019 Spring
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