うまくいかず何度も傷つき、心も揺れたけれど2年半のタイミング後、体外受精で妊娠。不妊治療が大事なことを教えてくれました。
30歳を目前に不妊治療を始める決意
ユイさん(31歳)とご主人の出会いは高校時代。10年の交際期間を経て26歳で結婚。ご主人は中学校の教員として、ユイさんは医療関連施設で働く生活を続けていましたが、29歳の時、ふと将来のことを考え始めました。
「これから先も、長く働きたいなら別の職場へ転職したほうがいいなと。ただ30歳になると子どもができにくくなると聞いていたので、欲しい時に妊娠できる体かどうかを知っておこうと思い、近くの産婦人科を受診しました」
もともと月経不順だったユイさん。婦人科系の病気があるかもという予感は的中。多嚢胞性卵巣症候群と診断され、妊娠しづらいと言われました。
「子どもが欲しいと考えているなら、仕事よりもまずは不妊治療に取り組んだほうがいいとお医者さんに言われ、納得し、正社員からパートの仕事に変えて、不妊治療を始めました」
ユイさんはそれほど子ども好きではありませんでした。「でも、大好きな夫の子どもは産みたかった」。その一心で通院の日々をスタートさせました。
タイミング半年で妊娠!なのに5週目で流産
最初はタイミング法から。幸いクロミッドⓇがすごく効き安定して排卵が起こるようになりました。「正直、不妊治療を始めれば、すぐ子どもができると思っていました。でも、現実はそれほど甘くありませんでした。タイミングをとってもなかなかうまくいかなかったんです」
半年後、ようやく妊娠できたのですが、残念なことに5週で流産してしまいます。とてもショックを受けましたが、ここで諦める気持ちにはならず、少しステップアップしたかたちで不妊治療を再開したいと考えました。
「ただ、当時、夫の仕事が超多忙で。ちょうど受験を控える中学3年の担任になったばかりで、心に余裕がない状況でした。それで治療法を先に進ませるのではなく、今できることをしようと二人で決め、タイミング法を継続しました」
流産前まではユイさんもご主人が仕事で大変だとわかっていたので、一人で抱えた思いを言葉でなく感情でぶつけることが多かったそう。
「でも、話し合ったことで夫が一番嫌なのは私が怒ったり悲しむことだとわかり、それ以降は何でも伝えようと心がけるようになりました」
なぜ、私だけ? 不満と苛立ちが募る日々
それでもユイさんは忙しいご主人に気を遣い、負担を最小限にしてあげたいという思いから、タイミングをとりたい日をできる限り絞り込みました。そして、絶対はずしたくない日は言い方を考えながら協力を求めました。
「基本的には協力してくれましたが、やはり日によっては『突然言われても困る』と返されることも。そうすると仕事もパートにして生活も変えているのに、今月もダメだったと落ち込み、傷ついている。どうして私ばかりがこんな目に? と、悲しくなったり腹立たしくなったりしていました」
そうこうしているうちに1年が経過。ご主人の仕事も一区切りつき、いよいよ専門の病院を訪ねる段階に。ユイさんは、近所の不妊治療専門クリニックへご主人と向かいました。そこで体外受精を勧められたというお二人。
「私は多嚢胞性卵巣症候群のクセが強めで卵子が未成熟。だから、人工授精よりも最初から体外受精にして良い卵子を育てたほうが成功率は高い、特にまだ若いからきっとうまくいくよ、といわれたのです」
そういわれても、ユイさんは素直に体外受精へステップアップする気持ちになれませんでした。
「隣の診察室から移植日を決める話が聞こえてきたことがあり、何だか人工的だな、そんなことまでして私は子どもが欲しいのかなと。逆に気持ちが萎えてしまったんです」
ステップアップする気が失せていったユイさん。4月に初診を受けたものの、5月から7月の間、気持ちは毎日、大きく揺れていたそうです。
「どこかでステップアップしたいと思っているのに、うまくいかなくてまた傷ついて泣くのは嫌だという思いも。言うこともコロコロ変わっていました。夫に検査してほしいと言っておきながら、やっぱりやらなくていいよと言ってみたり。時にはもう子どもができる気がしなくなってしまって。特に頑張らなくても妊娠していく知人、友人が周りに増えてきたのもあって、すっかり自信もなくなり、もしかして私には母親になる資格がないのでは、と思ってしまうこともありました」
不妊治療経験者の義姉が背中を押してくれた
そんな彼女の背中を押してくれたのが義理のお姉さん。
「彼女が8月に2人目を妊娠したのですが、実は不妊治療を4年ほど続けていたことをその時、初めて知りました。義母から私が不妊治療をしていると聞いていた義姉が、体外受精を考えているなら絶対やったほうがいいよと。義姉は体外受精で2回失敗、もうやめようと思っていた矢先、自然妊娠したそうです」
ユイさんはこれまで誰にも言えず、心にためていた気持ちすべてを義姉に話しました。
「その時、気づいたんです。やはり私は夫の子どもが産みたいんだ、体外受精を実は望んでいるのだと」
その直後、以前勤めていた職場から声がかかりました。
「治療をやめるなら正社員になりたかった。ただ、体外受精をすると決心できていたので、不妊治療があるから正社員では働けないと伝えました。そうしたらパートでいい、治療優先でいいからと言ってくれたんです」
9月に体外受精して10月からその職場へ。気持ちも環境も180度、変わりました。
「移植も1回目はダメでした。もちろん、落ち込んだし悲しかったけど、体外受精まで自分が挑戦できたことがうれしかった。何より支えてくれている人たちに感謝の気持ちでいっぱいでした」
そして、移植2回目で12月に妊娠が判明。それでも最初はなかなか信じられなかったといいます。
実感がこみ上げてきたのは、安定期に入り職場の同僚たちに妊娠を伝えた時でした。
「みんなすごく喜んでくれて。そのことを夫に伝えたら心底彼もうれしそうで。ようやく本当に赤ちゃんを産むんだと思えるようになりました」
不妊治療してきた時間は親になるための準備期間
2年半の不妊治療でユイさんは大切なことを学びました。
「私は受験も就職もすべて志望通り。自分が望むタイミングで好きな人と結婚もできた。すごく順風満帆で挫折なく、頑張れば報われる人生を歩んできました。でも、妊娠だけはそうはいかなかった。病院へ通ってもなかなか妊娠できませんでした。頑張っても報われないことがあることを初めて知りました」
同時に身をゆだねて待つことも時には大事なのだと思うようになったそうです。
「おそらく何も苦労せずに子どもを授かっていたら、子育てで絶対に挫折していたと思う。また、治療を通して夫とも何でも話せる関係になれました。そう考えると不妊治療は私たち夫婦、特に私が親になるために必要な時間だったのだと思います」
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.35 2017 Autumn
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