日本では難しい「卵子提供」その実態は?
まとめ 不妊治療
年々増えていく海外での卵子提供。日本で進まないのはなぜ?
法整備が進まない日本と海外との違い、卵子提供の現状はどうなっているのでしょうか。
"生殖補助医療に関する法整備が進んでいない日本は、卵子提供の議論も止まっているように見受けられます。そこで海外での治療を視野に入れていたり、実際に治療を行った患者さんがいるという現状ですが……。
田中先生:海外での卵子提供というと、アメリカやタイなどが主流で、いずれも各医療機関の私設運営によるものでした。 台湾では、国が定めた「人工生殖法」という法律のもと、日本の厚生労働省と同様の機関で生殖補助医療を管理・運営するので、安全性は群を抜いています。また、全世界に向け、卵子提供を国営で行うと発信していることも注目すべきことです。 国の取り組みとしてはイギリスでも指定病院で不妊治療と卵子提供を行っていますが、無料であるがゆえに患者さんが多く、治療開始までに何年もかかる。医療レベルもあまり高くはありません。
国家として卵子提供に取り組む台湾などの諸外国に比べて、なぜ日本では進捗が遅いのでしょうか?
田中先生:根源は、生殖補助医療に関する法律がまったくないことでしょう。そのデメリットの一つは、卵子提供者のプラ イバシーと生まれてくる子の「出自を知る権利」の両方があやふやになっていること。もう何年も繰り返し議論されていますが、一方では「提供者のプライバシーは守られる」、一方では「15歳になった子が希望すれば情報を開示する」。そのような食い違いのため、提供者・被提供者ともに大きく傷つくことが問題です。"
"インターネットやほかのメディアからの情報で、卵子提供は可能だと知りながら、国内ではその医療を受けられない。そ のため、海外での治療を選択するケースも少なくありません。今後、卵子提供はどのように変化するのでしょうか?"
医療現場における卵子提供の考え方とは?
医師の間では卵子提供はどのように捉えられているのでしょうか。
"生殖医療の進歩によって子どもを授かる人が増えた一方で、諦めざるを得ない人もいます。そんななか、第三者の卵子を用いる「卵子提供」は、「日本でも行うべき」「倫理的な観点から考えてどうなのか」「ケースによってはいいのでは」など、さまざまな意見が交わされています。医療現場では現在、どのように考えられているのでしょうか。そこで、卵子提供の必要性や課題、進むべき方向性について、不妊治療の専門医である田中温先生と宇津宮隆史先生にお聞きします。
最近、雑誌やテレビなどのメディアでも取り上げられている卵子提供。本誌の読者からもさまざまな意見や質問が寄せられています。「不妊治療をしても思うような結果に結びつかない場合、選択肢の一つになるのでは?」という意見が寄せられるなど、関心が高まりつつあるようです。非常に難しい問題だと思われますが、まずは、先生方の考えをお聞かせください。
宇津宮先生: 子宮内膜症やがんなどが原因で子宮や卵巣を摘出している患者さんは別として、卵子提供は高齢の患者さんが対象になることが多いと思います。ですが、私としては「高齢になるほどさまざまな危険性があるとわかっていながら、ほかに方法はなかったのだろうか」という根本的な疑問があります。仕事などを理由に、結婚しない、出産しないという人生を送っていた人が高い年齢になり、いざ子どもを望んだ時に妊娠・出産が難しい、だから卵子提供を……というのは少し安易ではないでしょうか。
田中先生: 一理ありますね。最近はマスコミの影響もあって、患者さんの数自体もそうですが、40歳前後で不妊治療を始める患者さんが増えています。当院でも平均年齢は39歳と、以前に比べて確実に上がっています。女性が高い年齢の場合の不妊治療はとても難しいケースにはなりますが、それだけ女性の認識も変わってきているということです。その意味では、一連のマスコミの報道は非常に意味があると思います。"
"宇津宮先生: 私はいつも患者さんに治療のステップアップについてご説明しますが、卵子提供は不妊治療とは違う次元のものだと考えています。不妊治療をして、妊娠しなかったから次のステップとして卵子提供という方法があるかというと、決してそうではない。"
選んだ道は台湾での卵子提供
海外での卵子提供で新たな命を授かった方のインタビューがこちらです。
"当時、関東に住んでいたHさん。独身の間に生理を順調に戻そうと、近所の病院へ。その時はまだ、「とりあえず生理がくるようにすればいいのかなという程度の認識」だったそうですが、ホルモン療法を始めても、生理周期が順調な時もあればやはりこない月もあって、30歳になったHさんの気持ちも少しずつ焦り始めます。
結婚してご主人の地元に引っ越し、環境は大きく変化しましたが、“不妊”に対する知識はまだなく、生理を戻すために少しでも良さそうな病院を転々としていたHさん。その意識が変わったのは、「出産しますか?」という医師の言葉だったそうです。
子どもを産みたいのであれば、不妊治療に進まなければいけない。独身時代とは違い、結婚したからこその言葉をきっかけに、地元で最も有名な産婦人科への転院を決意。卵胞のチェックや採血などひと通りの検査をした結果、「うちでは診られないって言われて…」。地元で一番のクリニックでダメならと、県内全域に範囲を広げて病院を探しました。
県内はもちろん全国的にも有名な熊本市内の病院への通院を決め、本格的に不妊治療をスタートしたHさん。ある程度は採卵できたものの合計8回行った体外受精で着床しないまま過ぎる時間。一度は着床しても8週目に心拍を確認したのちに流産し、Hさんは年齢的にも治療を続けることが厳しくなっていることを自覚します。「最後は卵胞すらできず、北九州市にある不妊専門のクリニックに紹介状を書いてもらったんです」。その時点でHさんは41歳。ご主人が運転してくれる車で片道3時間の距離にあるセントマザー産婦人科医院への通院が始まりました。"
"「血液型や同じような肌と髪の毛の色など、できるだけ二人に近づけたいという思いがあって。直接話をして、私たちにぴったりだという提供者を選んでくれたので、その言葉を信じました」"