東京都でスタートした新生児委託事業で里親に
コラム 不妊治療
東京都でスタートした新生児委託事業で里親に
【her story vol.62】
夫の無精子症が明らかになって
AIDと養子縁組の両方の検討を同時に開始。
“子どもと共にある生活”が私たちの望みでした。
人工授精前の検査で無精子症がわかったM男さん、Y子さんご夫婦。
60、70歳になった時に後悔したくないと考えた二人は
医師に告げられた選択肢からAIDと里親の2つをチョイスし、
最終的に東京都の新生児委託事業で生後間もない赤ちゃんの里親になりました。
※2019年8月24日発刊「女性のための健康生活マガジン jineko vol.43 2019 Autumn」の記事です。
子どもを諦めるという選択はなかった
Y子さん(43歳)とM男さん(39歳)夫婦が東京都の新生児里親に登録し、生後まもないOちゃんを迎え入れたのが約1年半前。今はOちゃんは戸籍にも入り、実子のように暮らしています。
「行動が私に似てきた気がする」とY子さんが言うと、M男さんも負けじと「頭がいいところは僕に似てるよ」と顔をほころばせて楽しそうです。
二人が結婚したのは約5年前、Y子さんが37歳の時でした。年齢的なこともあり、早々に不妊治療を開始。近くの産婦人科でタイミング法から始めたのですが、半年経ってもできませんでした。そこで医師の勧めもあり、二人揃って不妊検査を受けました。
「その結果、私は問題なしだったのですが、主人が無精子症とわかって。すぐにTESE(精巣内精子採取術)の手術を受けたところ、精子を採るのは難しいと言われました」
この時、医師から三つの選択を告げられました。一つめは「子どもはもう諦める」、二つめは「AID(非配偶者間人工授精)」、三つめは「養子縁組で里親になる」でした。
「まず、子どもを諦めることはできないね、というのが一致した意見でした。二人よりも子どもがいたほうが生活も楽しくなるという思いが、お互い強かったからです」とM男さん。Y子さんも「ここで子どもを諦めたら自分が60歳、70歳になった時に悔いが残る気がして。だから、もうやれることは全部やっちゃおうということになり、AIDを受けることと、里親になるための準備を同時に進めることにしました」
転職をきっかけにAIDの治療を終了
AIDとは第三者から提供された精子を使って妊娠を試みる方法のこと。Y子さんは都内の病院に登録し、精子ドナーがいると病院から連絡があった際は必ず治療を受けました。「でも、なかなかうまくいかなかった。ほぼ毎月、計1年半、治療を続けました」
AIDには抵抗を感じるご主人も多いのですが、M男さんにはそれがまったくなかったそう。
「僕の中では正直、AIDも里親もそんなに違いがなかったんです。子どもは神様からの授かりもの。ですから、どちらも挑戦してダメだったらそれはそれでしかたないかなという気持ちもありました」
そんななか、AIDの治療を断念したのは、Y子さんの転職がきっかけでした。それまで金融関連の会社で働いており、AID診療のたびに遅刻させてもらっていました。しかし、新たな職場でさすがにそれはできないと思いAIDを終了させたのです。
ところで、この時期になぜ転職をしたのでしょうか。
「キャリアアップのためです。実はVBAというプログラミングの資格を取得したので、それを生かした職を探していたところ、見つかったから」
いったん不妊治療に入るとそれだけに全力投球しがちですが、Y子さんは仕事に関する自身の将来設計もしっかり見据えていました。
里親に登録して1年後 新生児委託が始まって
家事も育児も完全分担制 子どもがいることが楽しい
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.43 2019 Autumn
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