PCOS、片側卵管閉塞を乗り越えてがん闘病中の父に見せたかった赤ちゃん。
できることは何でも積極的にトライして無事に授かることができました。
思春期の頃から重い排卵障害、多嚢胞性卵巣症候群を抱えながら、不妊治療を続けた優佳さん(34歳)。
病と闘う父に早く孫を見せたい一心で前向きに治療に向き合い、今春、元気な男の子を授かりました。
「不妊になるかも……」という不安が現実に
実は、「自分は不妊になるんじゃないかな」という不安は若い時から何となく感じていました。思春期の頃からずっと生理が不順で、高校生の時は半年に1回しか生理がこない状態。さすがにおかしいなと思って婦人科を受診したら、先生から「あなたは女性ホルモンが極端に少ない」といわれたんです。ホルモン注射で生理を起こして1~2カ月に1回くらいのペースで生理がくるようになったのですが、その頃はまだ学生だったので、不安はありながらもすごく深刻なこととはとらえていませんでした。
社会人になってからも相変わらず生理は不順ぎみで、毎月ちゃんとくることはなかったのですが、病院に通うことなく、何年か経って30歳の時に結婚しました。子づくりについてはまだそれほどあせらなくていいかなという年齢だったのですが、その頃、父が進行性のがんを患っていたので、すぐに子どもをつくって元気なうちに孫を見せたいと思うようになったんです。
主人も同じ考えをもってくれて、頑張ろうと思っていた矢先、生理の出血が止まらなくなってしまって……。その時、10代の頃から頭の中にあった“不妊になるかも”という不安が一気に大きくなりました。
近所の産婦人科を受診したら、生理はあるのにまったく排卵していないことが判明。排卵障害ということで、排卵誘発剤を服用しながらタイミング療法で不妊治療を開始しました。4~5カ月続けても成果はなく、より詳しい原因を知ろうと、別の病院で不妊に関する検査を受けることに。そこで出た結果は、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)だったということ。さらに卵管が片方閉塞しているのもわかりました。
治療法が合わずに転院を決意
自分でもいろいろ調べて、私のようなケースではこのまま人工授精に進んでも妊娠する確率は低いと思い、人工授精を飛ばして次は体外受精に踏み切ろうと決断しました。
不妊への不安は確実なものとなり、治療は長引くと覚悟していたので、本格的に治療をするならちゃんとした施設で受けようと考え、いろいろ調べた結果、有名な不妊治療専門クリニックを選んで予約しました。
1回目は排卵誘発剤のクロミッドⓇを飲んで自然周期で採卵。1個卵子が採れて移植しましたが、結果は出ませんでした。その頃、父の病状が悪くなって亡くなるという悲しい出来事もあり、治療をしばらく中断。父に孫の顔を見せるという目的がなくなり落ち込んでいたのですが、年齢はもう32歳に近づいていたので、何とか気持ちを切り替えて、2カ月後に2回目の採卵をして1個できた凍結胚盤胞を移植しましたが、これもダメ。その翌月、すぐに3回目の採卵に挑戦したのですが、採れた卵子は胚盤胞にすらなりませんでした。
3回の採卵、2回の移植を終えた後、このままでいいのかなと疑問に思って夫婦で話し合ったら、主人も「自然周期で採卵する今の方法は合わないのかもしれない。別の方法で治療してくれる病院を探してみよう」という考えでした。
1回の採卵で胚盤胞になり、妊娠、そして出産へ
地元の大学病院へ転院を決めましたが、これまでの治療による体への負担や父の死など、いろいろなことに疲れ果てていたので、心身を癒やすためにも転院前から不妊専門の鍼治療もスタート。その鍼灸院に置いてあった『ジネコ』を目にして、そこで初めて“グリスリン”というサプリメントの存在を知りました。院長先生からも「グリスリンというサプリは、あなたのようなPCOSの人にいい効果をもたらすこともあるようですよ」とすすめられて……。
薬ではないので確実に効果が出るとは限らないと思いますが、その頃私は、鍼治療もそうですが、“自分にできることは何でもやってみよう。たとえ赤ちゃんができなくても、そのほうが絶対に後悔しない”と思っていたんです。だからサプリメントでも積極的に試してみようと考えて、すぐに取り寄せて飲み始めました。
体調が整ってから大学病院での治療が始まりましたが、そこでの治療は高い刺激でたくさん卵子を採るという方針です。飲み薬に注射もプラスして採れた卵子の数は20個。そのうち胚盤胞になったのが6個と、確率は決していいとはいえませんが、1個だけまずまずグレードの良い胚盤胞があり、移植をしたら無事妊娠、出産まで至ることができました。妊娠中に一度出血をして、安静期間もありましたが、今年の春、元気な男の子が生まれて、今はすくすく育ってくれています。
前向きな気持ちと周りの協力と理解が大切!
最初の施設では採卵できても妊娠につながることはなく、後半は胚盤胞にすらならなかったのに、次の病院では1回の採卵でちゃんと胚盤胞になって妊娠することもできました。グリスリンは2~3カ月間飲んで、特に体調の変化は感じませんでしたが、結果をみるとやはり卵子の質に何らかの良い影響を与えてくれたのではないかと思っています。もちろんそれだけではなく、鍼や不妊治療のやり方を変えたのも良かったかもしれません。亡くなった父も天国から応援してくれていたのでしょう。
若い頃から生理不順や排卵障害があり、何となく「将来自分は不妊になるのでは」と思っていましたが、それが現実になってしまいました。父の病気がなかったら、不妊治療がもっと遅れて、もしかしたら子どもを授かれなかったかもしれません。
治療中はつらいことや落ち込むこともありましたが、「もうダメ」ではなく、「まだ何かできることがあるかも」と、治療プラスアルファのところを自分で積極的に探していったのがいい結果に結びついていったと思います。前向きな気持ちで進めたのは、夫の理解と協力のおかげです。今は、亡くなった父、主人、違う方向からのアプローチをすすめてくれた鍼灸の先生など、多くの人に感謝しています。
出典:女性のための健康生活マガジン jineko vol.31 2016 Winter
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